私はドキュメンタリーやルポ、伝記などのノンフィクションを好んで読むが、自伝も然り。
例えそれが芸能人であったりアイドルであったりしてもだ。
人生に平凡などあり得ない。
誰しも語れる事があると思っている。
だからって何で梅宮アンナかと言われると困るが、古本屋でプラプラ見ていて目に留まったのだ。
中を軽く見てみると、なかなか面白そうだった。
それまで私は梅宮アンナについて知っている事はほとんどなかった。
羽賀研二と付き合ってたかな?ぐらいのものだが、それについても何であんなに騒がれていたのかはわからない。
本を開いて興味を引かれたのは、彼女の奔放に生きた青春時代であった。
世代が近く、共通するものも多かったのだ。
恵まれた家庭環境の中で育つが、その風貌や個性から、周りとなかなか馴染めないでいたアンナ。
外国人顔にコンプレックスを持ち、いつも下を向いて歩いていたアンナは、中学も終わりに近くなると、次第に学校に通う事を窮屈に感じるようになっていた。
そこからは思いつくままに生きていくが、ハッキリ言って非常に浅はかで未熟である。
しかしその馬鹿者加減は、実は自分の身に覚えのある種類のものであった。
夢を見てはすぐ飽きる。
楽な方へ流れたがる。
若さとは、コントロールできないとこのようになってしまうのだ。
しかし私は大いに共感し、懐かしく思い、とても親近感を覚えた。
そして、包み隠さずありのままをのびのびと書いている事に好感を持った。
悪びれてない訳ではない。
分かっているのだ、彼女も。
しかし、悔いて下を向いて生きていても仕方がない。
一番辛いのは本人なのだ。
自由に生きたその報いは十分に受けたと思う。
そして父・梅宮辰夫の親馬鹿ぶりにも笑えたが、読み進んでいくと、なかなか素敵な父親像が浮かんでくる。
娘アンナが可愛くてしょうがないが、叱るときはブン殴って叱る。
しかしそれはホントに「ここ1発」の時なのだ。受けた彼女も納得している。
正直、私はどうもあの偉そうな梅宮辰夫が好きじゃなかったのだが、随分印象が変わった。
娘・アンナに自分の若い頃を重ね、父・辰夫に親としての自分を重ねる。
とても楽しめた1冊であった。
ただ、娘ぶー子は「読んでてムカついてきた」と途中で放棄したので、見る側の境遇によって感想はまちまちかもしれない。
ぽ子のオススメ度 ★★★★☆
「みにくいあひるの子」だった私
梅宮アンナ・著
講談社 ¥1300