人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

捨てられないモノ

ブログ更新中はよほど殺気立ってるのか、娘ぶー子がよりつかなくなってしまった。

今日は彼女が寝ている間に更新だ。

しかし現在、午後7時。

なぜ、いつから寝てる??

昨日張り切って、やるべき家事を思いっきり書き出したからか、本日は燃え燃え、やる気満々で朝を迎えたのであった。

しかし午後になっても、何も変わったところが見当たらない。

ちゃんと動いていたのだ。

もう掃除なんて、してもしなくても同じなんじゃないか??

それをダンナが嫌がらせで、私を騙しているのだ。

しかし、何でこんなに散らかるのか、今日改めて思い知った。

物が多すぎるのだ。

ぽ子はケチで乙女なのだ。

だから物を思い切って捨てられないのだが、捨てられない理由は大きく分けて2つになる。

ひとつは「まだ使える」であり、もうひとつは「名残惜しい」である。

ケチなので、少々ボロけていても捨てられない。

乙女なので、思い出をいつまでも側に置いていたい。

しかし、捨てないと物は増える一方であり、やがてしまう場所がなくなる。

そうなるとおのずと行き場のなくなったものがその辺にあふれ出し、ゴチャゴチャしてきて「何か散らかってきたね」という状態になる。

我が家は常にその状態だ。

ダンナも捨てない、ぶー子も捨てない。

物を大切にするという気持ちを持った人間と暮らせて、私は幸せだが、掃除をするのは主にこの私だ。

収納スペースと一緒に、私の頭もパンク寸前である。

私はボロくなったTシャツを捨てられません。

ボロいが着れるのだ。

パジャマや下着にしている。

これだけボロいのに捨てられないなんて、一体どういう状態になったら決心できるのだ?

タンス、入りきらない。

私は欠けたお皿が捨てられません。

コップもまた然り。

割れればキッパリと捨てられるが、もともと4、5枚で揃っていた皿も今は半端に残っているものも多い。

これなど欠けてもいないので、いつまで経っても捨てられない。

そこへ新しく揃いで買ってくるので、割れても割れても増える一方である。

食器棚、満員。後ろのが出せない。

私はカセットテープが捨てられません。

初めて録ったものから、全部残してある。ダンナのもあるので、かなりの数だ。

ちなみに私が初めて録ったテープには、テレビから生で録った「あさひヶ丘の大統領」の主題歌や、松本伊代の「ラブミーテンダー」や、シーナ・イーストンの「モダンガール」など、支離滅裂なラインナップとなっている。

私はノートが捨てられません。

なぜか増えていくノートやメモ帳。

しかも不思議とそのほとんどが使い切らずに途中の状態で終わっている。

もったいない。

今、テレビの前のテーブルには、幼稚な表紙の「ゲームのためのノート」が、パソコンの前には「パソコンの使い方のためのノート」と「ダウンロードしたい曲リスト」のノートとメモ帳が3冊、小さな手帳が1冊ある。

ゲゲッ、奥の方を見たら「PCメモ」というノートと「ぽ子のやること帳2004」というノートも出てきた。

「PCメモ」の方は前半は家計簿代わりにレシートがバシバシ貼り付けてあった。

2004年3月13日には、焼き鳥の「吉鳥」で10840円分も飲み食いしている。

しかしこの家計簿も続かなかったのか、途中で終わり、「もったいない」とPCメモになったのだ。

しかしそれもやがて忘れられる。

「ぽ子のやること帳」の方は、やるべき家事を毎日書き出してあり、やったものに赤丸がしてあった。

何年も前から似たような事を思いついては挫折しているのが良くわかる。

最後の日には「かしつき、2Fひきだしせいり、1Fひきだしせーり、PCうしろ棚セーリ、アイロン、フィルター、台所つくえ」となっていて、フィルターにだけ丸がついていた。

ダメ女である。

漢字もちゃんと使いなさい。

こんなの、ほんのほんの一部である。

私は手元に残した物をもっとハードに使い、再起不能にしていかなくてはならない。

半端に残った皿や欠けた皿は、もっと乱暴に扱うべきだし、パソコンの側に置いてあるメモやノートも、ティッシュとして出動させるべきである。

しかしティッシュの方も、駅前でもらって来るものがたまっているので、ティッシュはお尻も拭かなくてはいけない。

そうすればトイレットペーパー代が浮くだろう。

ところで先にも書いたが、捨てられないのは私だけではないのだ。

ダンナはビールサーバーが捨てられません。

これはリサイクルショップで500円で買ってきたのだが、1回か2回しか使っていない。

圧倒的にめんどくさいのだ。

以前、「家でビールの泡を生ビールのようにクリーミーにして飲む方法」というのをやっていて、これで充分なのだ。

珍しく私が見限って、2年ほど経った頃にゴミ袋に入れたのだが、ダンナがそれを発見して「もったいない」と言ったのだ。

このサーバーはほこりまみれのままゴミ袋に入り、今もキッチンの収納扉の取っ手にぶら下がっている。

昨日も書いたが、こんな邪魔なものがぶら下がっていても、慣れるものなのだ。

私は時々よそのお宅に行った時に「なぜこれがここに??」と思うことがあるが、「慣れた」、それだけの事だろう。

我が家にはそんなものがたくさんある。

掃除はしなくちゃならないが、その前に頭使って考えなくてはならないようだ。

思い切って捨てるか、活用するかを。

来週の家事も止まりそうな予感だ。