昨日の晩ご飯は鍋であった。
私は本を見ないと料理ができない。
平日はできるだけ作るようにしているから、それなりに作ってきているはずなのだが、自力で作る能力が育っていない。
そんなんで、昨日の鍋もレシピを見た。
「白菜とブタしゃぶしゃぶ肉の鍋」という代物である。
①春雨を戻して切り、(今気付いたが、切るのを忘れた)
②土鍋に水と昆布と肉を入れて火にかけ、
③白菜を切り、
④煮立ったら白菜を入れる。
それだけのことだ。
それだけのことだが、本がないとできないのだ。
この他にタレも作ったが、調味料はキッチリ計り、材料は本の通りに買い揃えた。
融通が利かないのだ。
「しょうゆ大さじ3」と書かれたら、大さじ3になってないと気が済まない。
「5分茹でる」とあったら、タイマーをセットする。
昼に良く登場するサッポロ一番みそラーメンの水だって、ちゃんと計量カップで計って入れている。
そのくせ賞味期限はまるで気にならないのが不思議ではあるが。
昨日の鍋に入れる白菜の量は「二分の一個」であった。
これを芯と葉に分けて切る。
火の通り具合が違うから時間差で入れるためだが、私は本の通りに鍋が煮立ったらまず白菜の芯を入れた。
次に春雨(ちゃんと袋に書いてある通りに戻したもの)と白菜を入れるのだが、
本には「白菜二分の一」と書いてあるのだ。
彼らの言うことは絶対なのだ。
この上に蓋を押して乗せた。
本の言うことを忠実に守ると、こういったことは良く起こる。
一言で「白菜」と言っても、白菜界にだって山本キッドみたいなのやチェ・ホンマンみたいなのや、色々いるではないか。
私は同じ値段なら断然チェ・ホンマンを買うので、結果こうなってしまうのだ。
100円の黒柳徹子と150円の玉木宏なら、迷わず徹子だ。
今日のレシピは「かぼちゃ八分の一」のところに、ぽ子の買った「かぼちゃ半分560g」であった。
この他にタマネギ三分の一とゆで卵1個となっていたので、何をどう増やせばいいのかかなり混乱した。答えはわからない。
まぁそれでも普通においしかったから、分量なんてその程度のものなのだろう。
わかっちゃいるが、計らないではいられない遺伝子を持って生まれたのだ。
誰も褒めちゃくれないし、いらぬ能力である。
能力・・・とも言えない・・・。