ダンナは出張、娘ぶー子は遠足だ。ぽ子は昼前まで寝てる。
放っておけば夕方まで寝るパターンであったが、そうはいかない。
昼に実家の母を連れてくることになっていたのだ。
実家は車で5分ぐらいの所にあり父も母も健在だが、若い頃、彼らとの関係は決して良好とは言い難く、現在もあまり行き来はない。
母と会うのも正月以来だ。
「こんにちは~。元気でしたか。わざわざすみませんね。」
迎えに行くと母はこう言った。
母はこのように、身内にも良く敬語を使う。
昔からそうだったから私にもしっかり伝染し、私も電話などでは特にこうなる。
二日酔いのだらしない姿で「じゃあ明日伺いますのでよろしくお願いします。」などと母に言っていると、変な気分になる。
私は遅くに生まれた子供だったから、母とは年が離れている。
母は昭和2年生まれ、41歳で私を生んだ。今80歳ぐらいか。
若い頃の話を聞くと、工場で爆弾作った話だとか、家の周りに焼夷弾が落ちた話だとかで、かなりジェネレーションギャップを感じる。
昔から物忘れが激しくオッチョコチョイだったから、どこからが年齢によるものか良くわからないが、
話のリピートは多くなってきた。
ここ数年彼女の話は「治療中の歯の話」、「夫である父がいかに横暴であるか」、「夫である父が毎日魚屋に行く話」、「夫である父が魚料理を勝手に作るが後片付けはしない話(後に「後片付けをしないから食事を別々にした話」になる)」が主だ。
そのたび私は初めて聞くような顔をするが、ホームヘルパーの実習を思い出す(笑)
そんな母が「墓参りに行けって言うんだけど。」と名古屋に住む私の叔母に言われたと言い出した。
「墓参り」と、「お」を頭につけなかったからあれ?とは思ったが、続けて「墓参りなんかにわざわざ名古屋まで行って、往復何時間もかけてお金だってかかるし、墓なんか行ってもそこにはおばあちゃんはいません、千の風になったつうの。」と言ったのでぶったまげた。
若い頃折り合いが悪かった原因に、母の厳格な教育があった。
やはり古い時代の人間だから、理屈抜きで「ダメなものはダメ!」「子供は親のいう事を聞け」と理不尽なやりかたであったが、それによって「クソまじめなカタブツ」というイメージが親に対して出来上がっていた。
そんな母が、こんな不謹慎な事を言ったのだ。
「ちょっ・・・。」と止める間もなく調子付いた母は、「だいたい墓参りなんてあんな変な花をこんなふうに置いて(顔をゆがめてジェスチャー)、そのあとこんなんなってお水流したりしてアホらしい。」とゲラゲラ笑った。
あっけにとられていると、話は仏壇に飛び火した。
「あんなものもねぇ、チーン!!(と言って爆笑)蹴飛ばしてやるわ、アッハッハ!!」
バチが当たらなければいいが。
しかしこれによって、母の墓参りや仏壇の世話はしなくて良いことがわかった。
私は母ほどバチあたりなことは言わないが、何かの世話をするのは苦手だからこれはこれで助かる。
一方ダンナの母には仏壇と墓参りについて、会うたび「お願いね。」とプレッシャーをかけられている。
私に託さざるを得ない義母が気の毒である。まぁやれるとこまではやるよ(笑)
母が帰ったらダンナとラーメン食べてとっとと寝てしまった。
連休も5日目ともなると無駄遣いである。