人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

思い出との決別

思い出とは。

 

それは心の中にあるもの。

ふと思い返して、懐かしむ。

それは形にならないもの。

それが思い出。

 

でもあんまり思い出さないなぁ!

嫌なことは、よせばいいのに良く思い出す。多分消化できていないからだ。繰り返し思い出すがため、その記憶は強固になっていく。

これは、思い出とは違う。恨みだ(笑)

不思議なことに、こうしたネガティブなことばかり思い出す傾向にあるが、だからと言って思い出に浸ることがない訳ではない。むしろ、浸ることは好きだ。好き過ぎて、現実に帰りたくないぐらいだ。

あれ?思い出さないんじゃないの??

無形のものから自然に思い出すことは、少ない。私には、思い出へといざなうアイテムが必要なのである。

例えば写真。動画。手紙。このブログなんかもそうだ。そういった具体的な記録から、私は思い出を辿る。

物を捨てられない理由のひとつは、ここにある。どんなものにも、思い出が共存しているものだ。思い出を手放すことは、簡単なことではない。それがなくなってしまったら、私の思い出も消えるのだ。

こうして思い出は増えていく。物も増えていく(笑)

 

人生の折り返し点を過ぎ、これらの思い出の清算に入ることにした。

どんなに懐かしく手放したくない思い出も、手に取って思い返すことなどほとんどなかったのだ。

確かに、何かきっかけがあってたまたまそれを開けば、とんでもなく懐かしい想いに浸ることができる。

しかし、いつ、あと何度あるか分からぬそれのために、家の中を思い出だらけにしているのだ。いい加減、前を向け。思い出を溜めるのではなく、新しいものへと循環させるのだ!

 

「ファイナルファンタジー12」のソフトを処分することにした。

厳密に言うと、通常版の「ファイナルファンタジー12」、インターナショナル版の「ファイナルファンタジー12ゾディアックエイジ」、付箋の挟まった分厚い攻略本4冊とガイドブック1冊。

2年半に渡ってプレイしたゲームである。好き過ぎて、3周してしまった。

何ならもう1周したかったのだが、ソフトの消費が滞っているので涙を飲んだ。

手元にあれば、またいつでもできる。そう思って次に向かったのである。

 

あれから10年経った。「もう1周」は、まだない。

新しいゲームはどんどん発売され、欲しいソフトが常にある状態だ。もう戻ることはないだろう。

思い出と決別の時が来た。

恥ずかしいから一回しか言わないぞ。FF12は私の青春だった(笑)

断腸の思いで手放すが、見てやがれ、リメイク版が出ている!

またもう一度出会えると信じて。