思い出とは。
それは心の中にあるもの。
ふと思い返して、懐かしむ。
それは形にならないもの。
それが思い出。
でもあんまり思い出さないなぁ!
嫌なことは、よせばいいのに良く思い出す。多分消化できていないからだ。繰り返し思い出すがため、その記憶は強固になっていく。
これは、思い出とは違う。恨みだ(笑)
不思議なことに、こうしたネガティブなことばかり思い出す傾向にあるが、だからと言って思い出に浸ることがない訳ではない。むしろ、浸ることは好きだ。好き過ぎて、現実に帰りたくないぐらいだ。
あれ?思い出さないんじゃないの??
無形のものから自然に思い出すことは、少ない。私には、思い出へといざなうアイテムが必要なのである。
例えば写真。動画。手紙。このブログなんかもそうだ。そういった具体的な記録から、私は思い出を辿る。
物を捨てられない理由のひとつは、ここにある。どんなものにも、思い出が共存しているものだ。思い出を手放すことは、簡単なことではない。それがなくなってしまったら、私の思い出も消えるのだ。
こうして思い出は増えていく。物も増えていく(笑)
人生の折り返し点を過ぎ、これらの思い出の清算に入ることにした。
どんなに懐かしく手放したくない思い出も、手に取って思い返すことなどほとんどなかったのだ。
確かに、何かきっかけがあってたまたまそれを開けば、とんでもなく懐かしい想いに浸ることができる。
しかし、いつ、あと何度あるか分からぬそれのために、家の中を思い出だらけにしているのだ。いい加減、前を向け。思い出を溜めるのではなく、新しいものへと循環させるのだ!
「ファイナルファンタジー12」のソフトを処分することにした。
厳密に言うと、通常版の「ファイナルファンタジー12」、インターナショナル版の「ファイナルファンタジー12ゾディアックエイジ」、付箋の挟まった分厚い攻略本4冊とガイドブック1冊。
2年半に渡ってプレイしたゲームである。好き過ぎて、3周してしまった。
何ならもう1周したかったのだが、ソフトの消費が滞っているので涙を飲んだ。
手元にあれば、またいつでもできる。そう思って次に向かったのである。
あれから10年経った。「もう1周」は、まだない。
新しいゲームはどんどん発売され、欲しいソフトが常にある状態だ。もう戻ることはないだろう。
思い出と決別の時が来た。
恥ずかしいから一回しか言わないぞ。FF12は私の青春だった(笑)
断腸の思いで手放すが、見てやがれ、リメイク版が出ている!
またもう一度出会えると信じて。