人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

九州へ・2024<軍艦島・周遊編>

軍艦島へ。

私達が利用したツアーは軍艦島コンシェルジュというところで、まずはグルッと外周から見られるようにしてくれたのだ。

上陸しても自由に歩ける場所は極めて限られているので、こうして外からでも島の全体を見られるのは嬉しい。

軍艦島の正式名は、端島(はしま)。

1810年頃に石炭が発見され、採炭が始まる。

最初は岩だけの小さな島だったが、出炭量の増加に伴い人口も激増、埋め立てを繰り返して大きくなっていった。

小さな島に所狭しと高層住宅が建てられていき、最盛期の人口は約5300人、当時の東京の9倍(ガイドさんは12倍と訂正していた)にもなっていたという。

島には学校、病院、商店街などはもちろん、パチンコ屋、映画館、遊郭などもあった。

 

 

ここだけ木造建築だったのか、すっかり倒壊して元の姿がなくなっていた。

地図を見ると、映画館や公民館のあったあたりと思われる。住居より造りが華奢だったのか。

 

 

31号棟は、社宅でありながらベルトコンベヤーが通されて稼働していた(一ヶ所だけ大きな窓になっている場所)。また建物そのものが防潮壁としての役目をしていたとのこと。

所狭しと建つ住居のため土地がなく、菜園、公園、保育園などは屋上を利用した。

エレベーターがなかったので、大変だったらしい。

エネルギーの需要が石炭から石油へと移っていったことにより出炭量も人口も減って行き、1974年に閉山。無人島へ。

 

 

島の端にある隔離棟。

これだけの人口が密集しているので、伝染病が広がれば一大事となってしまう。

 

 

学校。

少しでも子供たちに太陽の明かりを、という思いで、窓は大きくたくさん作られたとのこと。故に現在は向こう側まで見通せる状態に。

 

 

 

右の方に小さく見えるのは、奇跡的に残っている神社の祠。真ん中の住宅はセレブ階級の住宅。見晴らしがよく、広い。

 

住宅の隙間に見える、珍しいエックス形の「X階段」。

ここ!

進撃の巨人の撮影にも使われたとのこと。

では上陸します。

 

 

つづく