人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

3:娘達と四万温泉に行く。

本当に、便利な世の中になった。

私達が若かった頃にも親世代はそんな風に言っていたが、世の中は常に進化し続けているのだ。どんどん便利になる。

その筆頭は、インターネットだろう。大概の事は、これで解決できてしまう。

昔は、自分で調べるか(本?図書館??)人に聞くしかなかった。

ピンポイントで調べるのは、結構大変なことである。賢人はそうなる前に、知識を蓄えておいたことだろう。

私のような愚人は蓄えるも調べるもしないので、もっぱら人に聞いていた。分からなければ、そこで終わりだ。

逆に、こんな私に知識を蓄えようとした人がいた。親だ。

 

理解と記憶の性能が著しく悪いため、その多くは私の中にとどまらずに流れていったことだろう。未だに常識的なことすら身についておらず、苦労している。

それでも、魚をさばいてアラを調理したりしていると、親から私に伝わったもののありがたさを実感する。多くはないが、親は、こんな私にも残してくれたことがあるのだ。

物でもお金でもなく、親が子供に残せるものは、こんなことなんじゃないかと思うようになった。

 

でだ。インターネットの台頭である。

家事炊事勉学一般常識、全てが簡単に調べられてしまうのである。わざわざ「伝える」必要がなくなってしまった。

一時期私は娘に、調理の基本を教えようと思ったことがあった。それも、彼女自身で調べてすでに知っていたり、何ならもっと簡単にできる裏技なんかも会得していることもあり、必要性を感じなくなってしまった。

こうなると私が彼女に残せるものは何なのだろうか。親が、子供に残せるもの。

 

最近、自分亡きあとのことを時々考えるようになった。

私は娘に、何もしてやれていない。

ネットにいいところを持って行かれてしまったので、もう教えてあげられるようなこともない。

このままでは、何も残らないじゃないか。

私にできることはないのか。

 

「感動」

を、残すことにした。

綺麗なものを、たくさん見て欲しい。

美味しいものをたくさん食べて欲しい。

楽しい時間をたくさん過ごして欲しい。

世の中、そんなもんじゃないんだぞ。まだまだ素晴らしいものが、たくさんあるのだ。

思えば父は、良く私を連れ出したものだ。

映画館、レストラン、旅行。

ダンナの両親は、今でも色々ともてなしてくれる。

 

これからもう一度、「親」になろうと思う。

ということで、四万温泉に行こうと思い立ったのである。

 

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