調理をしようと思うと、鍋に入っているものをタッパーに移すところからである。
それを洗い・・・、洗ったら置く場所がない。
干したままになっているボールや皿を片付けていく。
どうして何をやるにもこう、終わりから始まるのだろうか。
改めて見渡してみると、部屋には途中のままになっているものばかりである。
「私はもしかして、どこかおかしいんじゃないか」とダンナに聞いたことがあった。
答えは、おかしいのかどうかは分からない、出会ったときからこうだったから。
でも時々、「なんで途中でやめちゃうのかな?」と思うことはある。
途中になっていた自覚なんてなかったよEE:AEB64
忘れちゃうのか、注意が散漫なのか、後でやろうと思うのか、自分ですら分からない。
指摘されたことで気づき、本当に何でも途中になっていることを知った次第である。
こういうのを「だらしがない」というのだろう。
思えば、子供の頃からそうであった。
引き出しの中、ランドセルの中、部屋、いつもグチャグチャであり、忘れ物が多く、遅刻ばかりし、頭も悪かった。
こういうの、クラスにひとりふたりいるよねEE:AEB64
母は厳しかったが、全く私には響かなかった。
しつけなんて、親の努力だけでどうにかなるものではないぞ。
さて、そんなんで何をやるにも時間がかかる毎日であった。
そんな日常に、大葉50枚がやってきたのである。
安かったから、買ってしまった。98円。
しかし、値下げ品である。今日見たら、シナッシナ(笑)
これは早急に調理をしなくてはならない。
こうして大葉50枚の調理に追われることになったのである。
で、鍋だ。
タッパーだ。
洗い物だ。
それで今日、久しぶりに「なんで途中でやめちゃうの?」を思い出したのであった。
私は一度流しをきれいにし、ボウルも菜箸も鍋も計量スプーンも、使ったはしから洗っていった。
フゥ、これが真っ当な時間の流れかEE:AEB64
いちいち片付けるのは面倒だが、すぐに使えて気持ちがいいぞ。
何より「途中でやめない自分」が誇らしい。
これを繰り返していけば、部屋は片付くし、なくしものや忘れ物も減るし、イライラもしなくなるだろう。
分かったよ。頑張るよ。
しかしキッチンには同時進行している作りかけの料理があと5つ。
限界じゃ。
あとは1時間後の私が何とかしてくれるだろう。
見とうないわ。