車を買い替えてから、半年ほど経ったか。もうずいぶん運転も慣れ、やっと聴けるようになったCDなどかけながら乗っている。急な減速でつい左手がギアに行ってしまうのは、サーフの名残だ。
聴いていたのはデフ・レパードの「Pyromania」。何十年ぶりに聴いたか。CDが聴けるようになったはいいが、あまり持っていないので、このように古いのをほじくり返して聴いているところであった。
このレコード盤を買った当初は、中学生ぐらいだったと思う。結構気に入って繰り返し聴いていたからか、どの曲も良く覚えていた。
ちょっと遠回りして帰ろうかな。いつまでも聴いていたい。
こんな気持ちになるのも、本当に久しぶりだ。何しろサーフのオーディオは、カセットテープとラジオしか聴けない状態だったのだ。もう音楽を聴くという習慣がなくなっていた。
それにしても、ハードロックだ。正直、このアルバムを今初めて聴いたとしたら、昔感じたような感動はないと思う。
似たような曲、がなるボーカル、これでもかと迫るギター。
歳と取るって、こういうことか。新しく触れるものへのキャパが狭くなっている。
厳密に言うと、キャパというか方向性が変わっているのかもしれないが、それはより静かで安定感のある物へと向かっているように思う。
それでもツェッペリンは変わらず好きだし、「フォトグラフ」もかっこいいと思う。
要はそれを「最初にいつ聴いたか」。
好きなものは変わらないが、同じものでも初めて聴くのが歳を取ってからでは、感動が違うのだと思う。
中学生の頃、兄の影響で洋楽を聴くようになったが、どれも新鮮で刺激的で、私はのめり込んで色々聴いた。
オールディーズ、プログレ、ディスコソング、そりゃあもう何でもありのメチャクチャだ。何もかもが素晴らしかった。
若さには、柔軟性がある。
そしてこの年頃は極めて感受性が強く、映画や本などでもブンブン心を揺さぶられたものだ。何度も同じものを繰り返し見たものである。
思えばこの頃にいかに多くのものに触れるかが、その後に影響するのだろう。
猫のエサの話になる。
成猫になると、子猫の頃から食べているものはいつまでも食べるのに、知らない食べ物はそれがどんなに良質なものでも受け付けないのである。これと同じじゃないか。
デフ・レパードの「ヒステリア」を聴くことはないだろう。もう私にはそんな能力はない。
「フォトグラフ」を聴きながら、思った。