先日、子供の頃に家を追い出された話を書いたが、コメントで同じような体験談をいただいた。
昭和である。意外とそんなに珍しい話ではないのかもしれない。
実際当時、家を追い出された友達が時々助けを求めに来たものだ。
イモヅル式に、ムナクソの悪いことを思い出した。私の気持ちは、あの頃のままである。
ある夜、父親に追い出された、と言ってうちに来た子がいた。
彼女の話だと、酷く怒られて一方的に追い出されたということで、私も理不尽なものを感じた覚えがある。
かと言って私が彼女をこの家に泊める権限もないし、できることなど何もない。
結局ふたりで外を彷徨い歩くしかなかった。
行くところもないし、帰るところもない。
バス停のベンチで途方に暮れていたら、私達を探していた担任のバイクが目の前を通りがかり、お縄頂戴となったのである。
そこから彼女の家に連絡が行き、私達は学校の職員室で待機となった。
なぜか校長もいた。
担任、校長、うちの親もいただろう。最後に来たのは、彼女の親だ。
父親は彼女を見るなりズカズカと寄ってきて、いきなり頬を張り倒した。
もう何と言っていたかは覚えていないが、怒り心頭でクソミソに罵倒していた。
なんだこのオヤジは。お前が追い出したんだろう?
叩きやがって。
こんな人前で叩きやがって。
しかし私がもっと怒りを覚えたのは、校長である。一緒になって声を張り上げて怒り出したのである。
お前らは何なんだ。
どぁ~~~~~~っ!!っとその辺のイスやら何やらを投げ散らかしたくなった。
彼女は何も言い返さず、泣いていた。
親が正しいからじゃない。何を言っても無駄だからだ。
後悔の涙なんかじゃない。悔し涙だ。
親にも親の思いがあるだろう。
しかしこの歳になっても、私にはそれを理解することができない。
未だに理不尽で、ムナクソが悪い。
それは私が大人になれないからなのか。
大人になるって、なんなんだ。
50を過ぎても、そんなことを言っている。