人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

だいじょうぶ、だ

もう、大丈夫し~~んぱ~~いなぁいと~~~♪

kiroroの「ベストフレンド」の曲に送られ、娘ぶー子はクラスメイトと共に体育館を後にした。

卒業式である。

卒業式は3年前の、やはりぶー子の中学の卒業式以来だが、今回は正直それほど大きな思いもなく出向いたのだった。

高校ともなるとぶー子も自分の世界を作り始め、親と学校のつながりも激減した。

式自体も形式的なもので、大合唱があるわけでも劇があるわけでもサプライズがあるわけでもない。

だからという訳ではないが、寝坊した。

9時20分に出発すると言っていたが、起きたのは9時17分。

ダンナは起こしにも来なかったが、そこに私に対する怒りがついに爆発した事を悟り、私はダブルのピンチに陥った。

なぁに、3分で支度が済めばいいのだ。問題ない。

私はまずぶー子の部屋の大きなクローゼットの方に走った。

そこには普段着ないスーツなどがかかっている。

今日の今日まで着て行く服の事を考えていなかったが、あと3分となっちゃ考える時間すらないのだ。

最初に取ったパンツスーツを持って寝室に戻る。

これを最後に着たのは3年前だ。

私は今MAXに肥えている。入るのか?

それも上は丈の短いジャケットだ。

パンツが入ったってその無様な腹があらわになっては、私もダンナもぶー子も恥をかく事になるだろう。

しかし考えている暇はない。

とにかくできる事をどんどん進めるだけだ。パジャマを脱ぐ。

そこで気付いたが、パンツとジャケットだけじゃ足りない。シャツだ。

このスーツに合わせられるシャツは1枚しかない。やはり3年前の卒業式に着たピンクの開襟だが、あれはどこにある??

ボツ!!

考えなくてはならないものは切り捨てていかないと、時間がないのだ。

私は再びぶ-子の部屋のクローゼットに行き、今度は結婚式に着て行ったワンピを出した。

花柄のヒラヒラである。

おかしいかな?

もうひとつ出てきたのは、これも結婚パーティに来て行ったワンピ。

花柄のようなめでたさはないが、これはもう10数年前に遡る作品だ。

古いか能天気か。考えている暇はない。「古い」でGOだぁ!!

それを後ろのファスナーを開けたまま、リビングに駆け下りる。

もう9時半になってしまう。

部屋は雨戸が閉まったままで真っ暗であった。

まさか。

隣の和室を開けると、ダンナが気持ち良さそうに寝ていた。

なんと!!

この時の気持ちは「マジかよ」ではなく、「やほ~~!!ダンナ寝坊ブー!!」であった。

早くしろよ~~、寝坊なんかしてプンスカプン♪

チャリで近い学校で助かったが、ミニのワンピでかっ飛ばしたため、私のパンツを見たラッキーな人が東村山にはたくさんいるはずだ。

10時からと式次第には書いてあったが、10時2分前に着いた時にはもう生徒が音楽に乗って入場していた。

ぶー子のクラスは最後の6組だが、先生は「ハイ、今行ってください!!」と5組の入場の後に私たちを入れた。

生徒の後に変なのがふたり。

5組のビデオには入ったことだろう。保護者なのでお間違いなく。しかも6組の。

で、6組の入場BGMは水戸黄門のマーチであった。

「じ~~んせいらっくっあっりゃ、く~~~もあっるっさ~~~」

ダッダダダダッダ、と真面目な顔で6組の生徒が入って来る。

このアホな選曲をしたのは実は卒業委員になったぶー子であった。親としても責任を感じる。

こんな始まりであり、全く神妙な気持ちにならないまま式が始まった。

証書の授与。

校長の話。

PTA会長の話。

だんだん花粉症の薬が効いてきて眠くなってくる。

高校ともなると卒業式もつまらんのぉ。

しかし後でダンナは校長の話が良かったと感動していたから不思議である。

記念品授与になると代表が記念品を読み上げる。

都立高校だ。大したものではないだろう。

でも何をくれるんだろう?

生徒が喜ぶものを出せるのか?

1・図書券 無難である。

2・インスタントカメラ 少ない予算で工夫が窺える。

3・東村山名物のまんじゅう

東村山名物のまんじゅう。

ここで私は一気に窮地に立たされた。

静まり返った体育館である。

例の「絶対に笑ってはいけないシチュエーション」だ。

10秒ほど耐えたが、無理だ。

東村山の名物まんじゅうとは、東村山出身の志村けんにあやかった「だいじょうぶだぁまんじゅう」の事である。

さすがに「だいじょうぶだぁ」まで言わなかったあたりが余計におかしくて、私の笑いのツボに強烈にめり込んだ。

「ふ・・、ふはは・・・。」と小さく笑うと隣のダンナもつられて「ふふふ・・・。」と笑ったのでもう爆発寸前だ。涙がこぼれた。

この後在校生代表の送辞と卒業生代表の答辞があり、答辞を読んだ女子生徒が途中で泣き出したのでこっちも泣けた。

一生懸命「だいじょうぶいだぁ」「だいじょうぶだぁ・・・まんじゅう なんちゃって」と考えたが、こういう時には全く笑えないのが不思議だ。

退場の時に2組のピアスをした派手な男の子が、5組の先生が、涙を堪えているのがまた悲しい。

そうなのだ。

卒業式とはもらい泣き式なのである。

しかし肝心なぶー子は泣かなかった。

後から聞いても「別にな~~んも、全然。」

あの涙の答辞は?と聞いても「ぶっちゃけ萎えた。」である。

ただひとつ、「あれはちょっとキツかった」と言った場面は、最後に教室に集まり、担任に色紙を渡したときの事らしい。

担任は40代後半ぐらいのちょっとイケメン系の優しい先生だ。

ぶー子は「こいつは絶対泣かない」と思ってたらしいのだが、彼は必死に涙を堪えて「・・・もう・・・何も言えないから・・・。」と下を向いてサッサと荷物をまとめて教室を後にしたとの事。

ヤバい、こっちもその話で涙である。

まぁ一時は卒業はおろか、進級さえできないんじゃないかと心配したが、何とか無事に卒業できた。

親としてはハラハラした3年間だったが、過保護に育ててきた親の試練である。

ぶー子は堕ちたり這い上がったり泣いたり笑ったりしながら、自分なりの価値観を作り上げた事と思う。

あっという間の3年だった。

ぶー子、卒業おめでとう。