ボイトレの日であった。
2020年春。
最初の緊急事態宣言があり、まず「歌」が自粛対象となった。バンドも合唱の練習もなくなってしまい、音楽活動は途絶えていた。
そんな中で合唱の先生は、ボイトレを続けてくれていたのだ。回数は減ったが、私も細々と続けていた。
ヘタクソである。
歌が好き、というだけで始めたバンドのボーカルは、我流で無茶をしたため喉を傷め、歌い方にも悪い癖がついていた。
それは合唱で顕著になり、これを矯正すべくボイトレに通っていたのだ。
とにかく高音が出ない。
というか、出るには出るが、圧で無理矢理ひねり出している感じだ。これが私の悪い癖で、圧を抜くと途端に出なくなってしまう。
初めて入った合唱団でもゴスペルでも、まず私の声だけバカでかくて突出していた。こうしないと、出ないのである。声量があるのとは違う。
しかし自分の異色に気づいてからは、自分なりに努力はした。
道のりは、遠い。
とにかく声の圧を抑えなくてはならない合唱は、ひどいものであった。私の努力は、上手く歌うための努力ではなく、目立たないように歌うという努力になっていった。
特に発声練習が苦手であった。言った通りにできないのである。このジレンマ、そして自分だけできない恥ずかしさ。いつも「早く終わってくれ」と切に願っていた。
だから、ボイトレという秘密の個人レッスンに通っていたのである。
「今日、声出てるねEE:AEACA擦れもない。」
発声練習の途中で先生は、こちらに向き直って言った。確かに、声の出かたが気持ちいい。
家で熱心に練習した訳でもないが、1回のレッスンでも大きな気づきがあったりして、少しずつ声が出るようになっている実感はあった。
この先生の魔法のレッスンのことは前にも書いたことがあるが、まるで医師のように的確であり、ビフォーとアフターに明らかな違いが出るのだ。だから、発声練習も面白い。
「Fが出たよ。」
Fとは、ファのことだ。
私が最初の合唱団に入った時に出たマックスは、シであった。それも無理くり出してのシ。
この先生の合唱団では、高音が出ないので男声パートを歌っていたぐらいである。
私は踊り出したいぐらいに嬉しくなった。
ファが出たのも嬉しいが、何より声が出ることが気持ちいいのである。
お花畑だ。まるで歌は、小鳥のさえずりである。スルスルと滑らかに流れ出るもの。
「先生、私オペラ歌いたいです。」
私は調子に乗って、次の課題曲にハバネラをリクエストした(笑)
「はじめてのこどもカラオケ」のように、竹内まりあを歌った後である。先生の戸惑いやいかに。
昨日は飲んだのだ。「Fの記念日」である。