人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

私の「大きくてすいません号」

合唱の練習日であった。本番前の、最後の練習だ。

体調が悪かったのでギリギリまで迷ったが、行って良かった。

思うに、「歌う」という行為には、何か「力」があるのではないだろうか。

少しぐらいの体調なら大概良くなって帰って来る。気分もすこぶる軽い。

しかし相変わらず、歌はいかんEE:AEB64

合唱って、本当に難しい。

ロック、ゴスペル、合唱、全く歌い方は違うが、全ての基本は合唱にあり。

そこを、基本ではないロックから入ったもので、恐らくガンコな酷いクセがついているのだろう。

長い、長い、試練だ。

何かを掴みかけたと思えば、それは全然違うものだったりする。

もしかしたらどこかで繋がっているのかもしれないが、私はそれを繋げることができない。

調子がいい時もある。

ダメな時は全然ダメだ。

この不安定感が、私の迷走を物語っていることだろう。

掴みかけたものは、ことごとくハズレであった。

私は未だに、どうしたらいいのかが分からない。

何がボーカリストだ、そんな肩書は100年早い。

高音が出ない。

小さな声で歌えない。

息が続かない。

合唱で困っているのは、主にこの3点だ。

ロックでは、高音を息の圧の力押しで出していた。

以前は喉にかかっていたので、それで酷く喉を痛めてしまった。

この部分は合唱の練習でかなり改善されて楽になったが、この「息の圧」がクセモノで、このせいで「小さな声で歌えない」、「息が続かない」という弊害が出ているようなのである。

爆風スランプが昔乗っていたツアーバスは「大きくてすいません号」と名付けられていたらしいが、ゴスペルや合唱などの団体戦となると、頭の中にこの「大きくてすみません号」という言葉が浮かんでくる。

音量だけはでかい。

中身のないバカみたいで、私は本当に恥ずかしい。

かと言って音量を下げると何も残らないので、それはそれでもっと恥ずかしいのである。

だから今は、「大きくてすいません」の方をとっているのだ・・・・・。

しかし私は諦めたくはない。

結果的には大した進歩はなくとも、多くの発見があった。

歌い手として、これはとても貴重なことである。

まだまだ発見はあるだろう。いかんせん、発展途上だ。

合唱の先生に個人レッスンをお願いしたのは、半月後である。