「遊びに来ないEE:AEB2F」
娘ぶー子から唐突に誘いがあったのは、2週間程前か。
「その日、何かが起こる、乞うご期待!!」などと言い、早く来て欲しそうな様子。
家は歩いて5分もかからない先だ。翌日休みなら、いつでも構わない。
それにしても、何だろうか?
あれこれ考えを巡らせたが、思いついた答えがダンナとも同じだったので、恐らくその可能性は高いのではないか。
早く来て欲しがっている。
浮かれている。
何か見せたいものがあるに違いない。
・・・子猫??
確かに、もう一匹ぐらいいてもいいかな、と言ってはいた気がするが。
これはアタリかもしれない。逆に子猫のご飯でも買って行って、驚かせてやろう。
そしてその晩。行ってみたら、子猫はいなかった。隠しているのか。
「で、どこにいるん?」と言ってみると、ぶー子はこれまで見たこともないような変な顔をした。笑ったひょっとこみたいな顔だ。目を見開き、口は不自然に笑っている。
「なんでEE:AEB2FなんでEE:AEB2F」とうろたえるので、「早く出しなよ。」と追い打ちをかけると、観念して隣の部屋にいざなった。
本当に子猫であった(笑)
チンチラという白い長毛種だ。まだ小さく、フワフワの羽毛の塊のようである。
結局先住にストレスがかかってきてしまったみたいで、今は私が預かっている。
「なんで分かったの?」と何度も聞かれたが、う~ん、何でと言われても、分かってしまったとしか言いようがない。
これが親子というものなのか。
今から十数年前。
私達は子猫のエルを保護したのだ。
病院へ連れて行くと、生まれたのは昨日今日という見立てで、過酷な子育ての日々が始まったのだ。
生まれたばかりの子猫は、まるでハムスターだ。それは子犬にもイルカにも人間の胎児にも似ていて、どうやら哺乳類の始まりは同じものなのではないかと思わされた。
3時間おきのミルク、エルは上手く飲めなかったので、時間がかかる。
重い肺炎にかかり、何度も入院した。胸骨の異常が見つかり、最後の入院は1ヶ月半にも及んだ。
それだけに、可愛くて可愛くて仕方がなかったのだ。
私はこの「自慢の娘」を母に見せたくなった。
こんなに小さな子猫、見たことがないはずである。
「見せたいものがあるよ、楽しみにして!」そう言って母を誘い出し、迎えに行った車の中でも「凄いよ。」と何度も念を押した。
母も何事かとワクワクしているのが伝わって来る。
楽しみにしててよ。天使がね・・・。
「ほら!」
寝室に通すと、エルをダンボールからすくい上げ、母に差し出した。
「えっ!?」一瞬母は絶句した。
一瞬だ、それでも私には分かった。母はガッカリしている。
しまった、何でこんなことで母が喜ぶと思ったのだろうか。せめて普通に「子猫を見に来て」と言えば、落胆させることはなかっただろう。
どうしてこんな簡単なことも分からなかったのだろうか。
人の顔色は窺うくせに、ほとほと人の気持ちが分からない人間である。
良かれと思ってやったことが見当違いなことは、しょっちゅうだ。思い込みが激しいのである。
母は調子を合わせて「可愛いわね」などと言いながら構ってくれたが、装っているだけである。茶番だ。
ここに来るまでの母は、本当に楽しそうであった。期待に満ち溢れていた。
何しろ期待などさせたことはこれまで皆無の人生であった。私もくすぐったく、誇らしく、気持ちが良かった。
しかしその正体は、子猫である。
母は特別猫が好きな訳でもなく、むしろ捨て猫を拾うなどという行為にはドライであった。
どこに母を喜ばせる要素があったというのか。私も一瞬にして自分の愚かさに気づき、恥じ入り、母と一緒に茶番を演じることとなった。
期待に応えることなどない人生であった。
しかしそれ以上に、40になってもまだこんな裏切り方をしている自分が情けなかった。
母の腕に通された、皮肉にも猫の模様のトートバッグ。
それに不釣り合いな「許すな改憲・守れ9条」の缶バッチ。
現実を逃避しようと思うと、そんなものが嫌に目に付いてしまう。
今もなぜか、よく覚えているのだ・・・。
ぶー子よ、そんなこったろうと思ったよ。あなたは紛れもなく私の娘である。
そして私も紛れもなくあなたの親だ。
理屈じゃなく、分かるのだよ・・・。