人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

茶番

「遊びに来ないEE:AEB2F

娘ぶー子から唐突に誘いがあったのは、2週間程前か。

「その日、何かが起こる、乞うご期待!!」などと言い、早く来て欲しそうな様子。

家は歩いて5分もかからない先だ。翌日休みなら、いつでも構わない。

それにしても、何だろうか?

あれこれ考えを巡らせたが、思いついた答えがダンナとも同じだったので、恐らくその可能性は高いのではないか。

早く来て欲しがっている。

浮かれている。

何か見せたいものがあるに違いない。

・・・子猫??

確かに、もう一匹ぐらいいてもいいかな、と言ってはいた気がするが。

これはアタリかもしれない。逆に子猫のご飯でも買って行って、驚かせてやろう。

そしてその晩。行ってみたら、子猫はいなかった。隠しているのか。

「で、どこにいるん?」と言ってみると、ぶー子はこれまで見たこともないような変な顔をした。笑ったひょっとこみたいな顔だ。目を見開き、口は不自然に笑っている。

「なんでEE:AEB2FなんでEE:AEB2F」とうろたえるので、「早く出しなよ。」と追い打ちをかけると、観念して隣の部屋にいざなった。

本当に子猫であった(笑)

チンチラという白い長毛種だ。まだ小さく、フワフワの羽毛の塊のようである。

結局先住にストレスがかかってきてしまったみたいで、今は私が預かっている。

「なんで分かったの?」と何度も聞かれたが、う~ん、何でと言われても、分かってしまったとしか言いようがない。

これが親子というものなのか。

今から十数年前。

私達は子猫のエルを保護したのだ。

病院へ連れて行くと、生まれたのは昨日今日という見立てで、過酷な子育ての日々が始まったのだ。

生まれたばかりの子猫は、まるでハムスターだ。それは子犬にもイルカにも人間の胎児にも似ていて、どうやら哺乳類の始まりは同じものなのではないかと思わされた。

3時間おきのミルク、エルは上手く飲めなかったので、時間がかかる。

重い肺炎にかかり、何度も入院した。胸骨の異常が見つかり、最後の入院は1ヶ月半にも及んだ。

それだけに、可愛くて可愛くて仕方がなかったのだ。

私はこの「自慢の娘」を母に見せたくなった。

こんなに小さな子猫、見たことがないはずである。

「見せたいものがあるよ、楽しみにして!」そう言って母を誘い出し、迎えに行った車の中でも「凄いよ。」と何度も念を押した。

母も何事かとワクワクしているのが伝わって来る。

楽しみにしててよ。天使がね・・・。

「ほら!」

寝室に通すと、エルをダンボールからすくい上げ、母に差し出した。

「えっ!?」一瞬母は絶句した。

一瞬だ、それでも私には分かった。母はガッカリしている。

しまった、何でこんなことで母が喜ぶと思ったのだろうか。せめて普通に「子猫を見に来て」と言えば、落胆させることはなかっただろう。

どうしてこんな簡単なことも分からなかったのだろうか。

人の顔色は窺うくせに、ほとほと人の気持ちが分からない人間である。

良かれと思ってやったことが見当違いなことは、しょっちゅうだ。思い込みが激しいのである。

母は調子を合わせて「可愛いわね」などと言いながら構ってくれたが、装っているだけである。茶番だ。

ここに来るまでの母は、本当に楽しそうであった。期待に満ち溢れていた。

何しろ期待などさせたことはこれまで皆無の人生であった。私もくすぐったく、誇らしく、気持ちが良かった。

しかしその正体は、子猫である。

母は特別猫が好きな訳でもなく、むしろ捨て猫を拾うなどという行為にはドライであった。

どこに母を喜ばせる要素があったというのか。私も一瞬にして自分の愚かさに気づき、恥じ入り、母と一緒に茶番を演じることとなった。

期待に応えることなどない人生であった。

しかしそれ以上に、40になってもまだこんな裏切り方をしている自分が情けなかった。

母の腕に通された、皮肉にも猫の模様のトートバッグ。

それに不釣り合いな「許すな改憲・守れ9条」の缶バッチ。

現実を逃避しようと思うと、そんなものが嫌に目に付いてしまう。

今もなぜか、よく覚えているのだ・・・。

ぶー子よ、そんなこったろうと思ったよ。あなたは紛れもなく私の娘である。

そして私も紛れもなくあなたの親だ。

理屈じゃなく、分かるのだよ・・・。