人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

湯西川ノスタルジー

旅行のお話をしたいのだが、その前に湯西川温泉のことを少し。

今回宿をとったのはダンナで、特に湯西川を狙った訳ではないそうだ。良さげな宿がたまたま湯西川だったというだけのことである。なのでこの偶然にはちょっと驚いたのだ。

湯西川温泉には、17歳の時に1ヶ月だけ、住み込みで働きに出ていたことがあったのである。

ほんの気まぐれだ。

その頃の私は学校にも行かず仕事もしておらず、完全ニートであった。

自分を変えたいなど一大決心をした訳でもなく、暇つぶしに近い感覚だ。1ヶ月というのがそもそもナメているだろう。

それでも親元を離れて山奥で暮らしたことは、貴重な体験になった。

2月、雪の湯西川。

私は某ホテルで働いていた。

ちょうど大学生が休みに入る頃で、同じ頃に若いアルバイトが次々と入って来たのだ。

ちょっと合宿のような楽しさがあった。

社員は地元の人か訳ありの人で、長く勤めている人が多かった。

今でこそ湯西川温泉には駅などできて少しばかりメジャーになっているが、当時はまだ地味な温泉地であった。

その小さなコミュニティの中の1軒のホテルから出ることはほとんどなく、ホテルでは一種異様な社会が形成されていた。

現実から隔絶されたその社会で、若いアルバイトはいとも簡単に社員のオッサンやオバサンと恋に落ちる。

オッサンやオバサンはアルバイトを追って山を下りることも、少なくなかった。

多くは現実に戻って関係が破綻したことだろう。

あれは特殊な社会だったのだ。

敷地内に一軒家の寮があり、そこで生活していた。コタツのある一部屋に、2~3人。

食事つきとのことだったが、毎週金曜の夜のカレーの日以外にまともな食事を食べた記憶がない。

6畳ほどの狭い食堂に味噌汁だけ大鍋に作ってあり、山積みされた納豆と魚の缶詰でご飯を食べた。あとはお客さんの残り物(笑)

朝食の準備、案内、片付けが終わると客室の掃除、その後休憩が入り、次は夜の食事の準備から接客、片付けまで。

一日が終わると近くの飲み屋さんに繰り出し、毎晩飲んだ。

一度だけ、ちょっと奥地に入った温泉街の中心地に連れて行ってもらったことがあったが、それ以外はホテルといつもの飲み屋の往復で終わってしまった。

なので、観光はこの旅行が初めてだったのである。

かつて私が働いていたホテルは、名前が変わっていた。

中心地の商店でちょっと話を聞いたところ、オーナーが変わったらしい。

息子の代になってから経営が傾き、従業員も放ってある日突然どこかへ消えたとのことだ。

外観には面影があるが、中身はあの頃とは全く別物である。

何しろホテルと行きつけの飲み屋の往復しかしなかったのだ、懐かしいと思えるような場所は皆無だったが、懐かしい思い出に浸った。

湯西川温泉は、そんな場所だったのである。