人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

香りの記憶

キンモクセイの香りが漂う秋になると、「あぁ、またこの季節が来たんだなぁ。」と感じる。

それにつれて、少しずつ空気は冷たくなっていき、冬の訪れを感じるようになる。

やがて春が近くなりジンチョウゲが香る頃になると、子供の頃近所に咲いていたその花を思い出す。

香りにも、記憶が残されるものだ。

お店の香水の棚に「ポーチュガル」のテスターを見つけ、その香りにその人を思い出す。何十年も昔の話である。

恐らく、高校時代に流行った「タクティクス」でも、同じ現象は起こるだろう。嗅ぎたい。タクティクスはどこへ消えたのか。

気軽に外出する時には、いつもマスクをしている。スッピンだからだ。素顔を隠すためである。

それまでそんな風に感じたことなど一度もなかったが、その時私はそのマスクに、薬品のような化学物質のかすかな匂いを感じたのだ。

この匂い、知っている。

重苦しい空気が甦る。

母の入院していた病棟は特殊な病棟だったので、決められたマスクの装着が義務付けられていた。

1つ数百円もする、重装備だ。

このマスクはいかにも薬品のような化学的な匂いが強く、その役目の重さを感じさせた。

市役所の駐車場。

車から降りる時に、私はマスクをつけた。

その辺の薬局で安く売ってる、普通のマスクだ。

そのマスクに、あの病院の「N95微粒子用マスク」の匂いをかすかに感じたのである。

効果に雲泥の差はあるにしろ、同じ目的を持ったものだ。そこに同じ種類の匂いがあってもおかしくはない。

ただ私は、それまでその匂いに気付いていなかった。

それは当たり前に、ごくわずか、そこに存在していたのだ。それが、あの入院であのマスクを付けてから、感知されるようになってしまった。

悲しい記憶と共に。

市役所で私は戸籍謄本を取った。

母の名前の横には、「死亡」という文字が印字されていた。