キンモクセイの香りが漂う秋になると、「あぁ、またこの季節が来たんだなぁ。」と感じる。
それにつれて、少しずつ空気は冷たくなっていき、冬の訪れを感じるようになる。
やがて春が近くなりジンチョウゲが香る頃になると、子供の頃近所に咲いていたその花を思い出す。
香りにも、記憶が残されるものだ。
お店の香水の棚に「ポーチュガル」のテスターを見つけ、その香りにその人を思い出す。何十年も昔の話である。
恐らく、高校時代に流行った「タクティクス」でも、同じ現象は起こるだろう。嗅ぎたい。タクティクスはどこへ消えたのか。
気軽に外出する時には、いつもマスクをしている。スッピンだからだ。素顔を隠すためである。
それまでそんな風に感じたことなど一度もなかったが、その時私はそのマスクに、薬品のような化学物質のかすかな匂いを感じたのだ。
この匂い、知っている。
重苦しい空気が甦る。
母の入院していた病棟は特殊な病棟だったので、決められたマスクの装着が義務付けられていた。
1つ数百円もする、重装備だ。
このマスクはいかにも薬品のような化学的な匂いが強く、その役目の重さを感じさせた。
市役所の駐車場。
車から降りる時に、私はマスクをつけた。
その辺の薬局で安く売ってる、普通のマスクだ。
そのマスクに、あの病院の「N95微粒子用マスク」の匂いをかすかに感じたのである。
効果に雲泥の差はあるにしろ、同じ目的を持ったものだ。そこに同じ種類の匂いがあってもおかしくはない。
ただ私は、それまでその匂いに気付いていなかった。
それは当たり前に、ごくわずか、そこに存在していたのだ。それが、あの入院であのマスクを付けてから、感知されるようになってしまった。
悲しい記憶と共に。
市役所で私は戸籍謄本を取った。
母の名前の横には、「死亡」という文字が印字されていた。