習慣とは、恐ろしいものでも素晴らしいものでもある。
相変わらず睡眠に関してあれこれと試行錯誤しているが、つくづく「習慣」が大きく影響するもんだと思ったのだった。
寝る前にヨガをしろ、牛乳を飲め、ものを食べるな、などと、巷では色々言われている。
どれも説得力がなく実行すらしていないが、実行もしないで「眠れない」とはお粗末な試行錯誤だ。
そこで、医者が勧める方法という「寝る前に寝る部屋では寝る以外のことをしない」ということに挑戦している最中である。
「挑戦」などというのは、これが簡単なようで私には難しいからだ。
これまで色んな努力をしてきたが、寝入りに関しては特に工夫をしてきたつもりである。
多くは「儀式」だ。
本を読む。
とことん眠くなるまでスマホを離さない。
無理に寝ようとしない。
このように寝るまでに儀式としてワンクッション何かをしていたので、「何もしない」となると構えてしまって、それはそれで難しいのである。
ところが、エルが枕元で水を飲んでいるのを見ていたら何ともホンワカした気持ちになり、そのまま何かをする気持ちが起きなかったという夜があった。
理想的な寝つきである。
この時からスマホからも読書からも足を洗い、極力布団に入ってからはボーッとするようにしていた。
眠くない時もある。
そんな時は本でもちょっと読みたくなるのだが、不思議なもので、ボーッとする習慣ができるとその気力が湧いてこないのである。
「本を読む」という行為は、脳を働かせる。
ボーッとするという脳の脱力状態に慣れてしまうと、脳を働かせたくなくなるようである。
こうして私は、「寝る前に寝る部屋では寝る以外の事をしない」ということができるようになったみたいだ。
スマホの習慣も、読書の習慣も、「ボーッとする」というバカみたいな習慣に上書きされたのである。
そしてその習慣は、睡眠サイクルを形作りつつある。
これがすっかり形成されれば、長年の苦痛から完全に脱することができるのだ。
次の段階として、布団に入る時間を早くすること。
何十分ボーッとしようとも翌日に響きませんよ、という安心感が欲しい。
今度こそいけそうだと言いたいが、たいがい慣れすぎると効かなくなってくるという。
これも期間限定なのだろうか。
まぁせいぜいボーッとするよ、今のうち。