人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子56歳。

[古日記]No.19 H1.3.14~4.17

だんだん読み返すのが辛くなってきた。

酷過ぎる。

本当に人間のクズだ。

人に寄生して遊び呆けるだけの、生ける屍であった。

今後は事実の特定を避けるため、フェイクを入れさせてもらう・・・・・・。

 

 

親に出て行けと言われ困りもしたが、シレッとして翌日は学校に行くことにする。

交通費を出してくれたところを見ると、どうやらまだ猶予はありそうであった。

しかし私に猶予など与えると、甘えにしかならないのである・・・。

 

私は結局、学校へは行かなかった。

画材の入っているカバンを飲み屋に忘れてきたから行かれない、と言って、飲んでいたのだ。

さすがにその翌日には観念して行ったようだが、行ってみたらなんと、「明日で学校は終わり」とのこと。

その日は作品を仕上げて帰り、最終日は途中で帰ってきてしまった。

 

父は激怒していたが、母は「フルタイムで働いて家にお金を入れなさい」と言った。

当時の私にはフルタイム=就職、無理、という思いしかなく、あまり現実味のない話であった。

なので2、3日は大人しくしていたが、結局また飲んだくれて外泊を繰り返す生活に戻った。

仕事を見つけるまでの期日を、「3月中」と言い渡される。

 

ある夜、兄が泥酔帰宅、私の部屋に居座り動かない。

母に頼んでどかしてもらうも、今度は爆音でインド音楽が流れてくる。

ベランダにゲロを吐いたことのある兄である。

頻度は違えど、飲み方は私と大差はない。

 

それを言えば、一番酷い飲み方をするのは父である。

ある日やはり私は外で飲んで(「田中さんからカワイイひよこのピヨピヨ鳴くやつもらっちゃったEE:AE595」はぁ!?)帰宅すると、激怒しているはずの父から電話。

近所で飲んでるから母と出て来いと。

近所の飲み屋で飲んだら今度はちょっと遠い飲み屋に移動、そこでお客さんの男の子と喋っていたら父が怒り出し全員で帰宅、4時。

そこから今度は家にいた兄も一緒に朝の6時まで飲んでいたのであった。

翌日はバイトだったので11時に起きたが、一番乗り(笑)恐らく後にも先にもこんなことはないだろう。

 

こんな感じだったので私も調子に乗ったのだろう。

また飲んだくれて外泊して帰ると、ついに締め出されてしまった。

翌日も鍵がかかっていたが、たまたま母が出先から戻ってきたところに会えたのだ。

 

猶予はなくなった。出て行け、と迫られ、仕方なく荷物をまとめ、いつも泊めてもらっていた友人宅に転がり込む。

 

これはこれで、門限もなくなり自由ができて快適な部分もあった。

しかし学校は終わり、バイトは昼の数時間。自由すぎて暇をもて余すようになる。

その反動で夜になるとフラフラと出かけ、とことんまで飲み明かした。

 

こんなんでも実家には時々帰っていた。

なんだかんだ母は心配していたようで、仕事について良く話し合っていた。

記憶にないのだが、選考試験のための作文を送っている。これを見てもらっていたりしたのだ。

それ以外にも、ピアノを弾いたり猫に会いに行ったりしている。

 

映画、「いこかもどろか」、「ゴーストバスターズ」。

テレビでは「イカ天」、ドラマ「教師ビンビン物語」。

ファミコン。

明るいうちは、バドミントンで遊んでいた(笑)

 

 

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相談サイトが好きで良く見ているが、ニートの娘を持って困っている親の姿とうちの親が重なった。

バカにつける薬はないというが、ぽ子につける薬もなかったのだ。

親とは折り合いが悪く、正直この当時の事は恨みばかりが残っていたが、苦労をかけたなと思う。

親は親で、頑張っていたのだ。

かといって、私の孤独感や疎外感、否定を繰り返されることによる自己否定はもう自分ではどうすることもできす、こうするしかなかったという気持ちも拭えない。

 

今もそんな思いが消えていないのである。

私はまだ親を肯定することができない。