神奈川県民ホール、15時開演。オペラ、「金閣寺」。
本格的なオペラを観るのは、これが初めてである。
フライヤーを見たら面白そうだったので、猛烈に見たくなったのであった。
原作は三島由紀夫、ドロドロとした人間の内面を描いた物語だ。
これを歌と音楽で表現するのである。
未知の世界だ。覗いてみたい。
ちょっと長いが、フライヤーから抜粋する。
オペラでは、青年僧の溝口が悟りを得ようと金閣寺で修行する。しかし寺の建物が美しすぎる。欲望を断つべく修行しているのに、その場所が美への欲望を煽る。絶対の矛盾だ。この矛盾こそオペラのテーマ。主役は青年僧と金閣寺、が、金閣寺は歌えない。建物だから。そこで作曲家は「金閣寺を表すメロディ」をオーケストラに受け持たせる。強迫観念のようにキラキラした音で鳴り続け、主人公を魅惑する。《金閣寺》は普通のオペラのように「歌手対歌手」のドラマではない。軸になるのは「歌手対オーケストラ」。それから、執着を断つためには執着の対象を滅ぼすことを厭ってはならないという、仏教の中にある極端な教えを、青年僧に示唆し続けるのは、合唱だ。合唱はその種の経典も唱える。「お経」をやる。オーケストラと合唱の役目がとても重い。指揮者の腕の見せどころだ。管弦楽の響きで表現される金閣寺。それをどう舞台上に見せるか、あるいは見せないか。演出家の腕も試される。とにかく黛の音楽は圧倒的だ。独唱パートはドイツ語のアクセントや抑揚と「お経」の旋律やリズムを見事に掛け合わす。管弦楽と合唱は、黛が若い頃からストラヴィンスキーと伊福部昭に学んできた反復の魔術を極限まで披瀝する。終幕の最後の約15分間、主人公が、「執着を断て」と煽動する「お経コーラス」に背中を押され「金閣寺を表すメロディ」を粉砕しようとするくだりの暴力的陶酔は、まさに圧倒的である。
・・・というようなものを控え、私は二日酔いで痛い頭を抱えていた。
予定では買い物をしてから横浜へ向かうはずだったが、時間を大幅に遅らせ、買い物は端折ることになってしまったのであった。
横浜へは、所沢から電車で一本で行けるようになったのだ。
座ってゆっくり寝ることができたが、1時間だ。目が覚めたら尻が痛かった(笑)
そして、頭もますます痛い。
会場まで行く途中にあった薬局で、鎮痛剤を買う。
その鎮痛剤をバッグに入れようと、バッグの内ポケットを開けると・・・、バラの鎮痛剤が入ってたよEE:AEB64こんな時に備えて持ち歩いてたんじゃんEE:AE5B1調べてから買えよなEE:AE5B1
ところで今、家の鍵+パスモがなくて困っている。
一体どうしてしょっちゅうこんなことが起こるのか、不思議で仕方がない。
さすがはオペラだ、入り口にクロークある。上着を預けた。
売店ではビールはないのに、ワインがある(笑)
座席はS席からD席まであったが、う~~ん、非常に悩んで下から2番目のCだEE:AE5B1
でも思ったより良く見えた。初心者には十分である。
で、もう、凄い迫力EE:AEB30
どうにもやるせないドロドロした感じが逆に惹きつけるのだ。
オペラ界のプログレとでも言おうか。
金閣寺を燃やさなくてはならないと思い込む、主人公溝口の狂気。
誘惑、葛藤、コンプレックス、嘘に偽善。
人間の奥底にある汚れた部分を、これでもかと映し出す。
オーケストラがまた凄いEE:AE482
オペラなどというとチャラリラと美しいイメージだったが、作曲が日本人だからか?
独特な暗さと重さがある。
圧倒されまくって終わった。
これは、16年ぶりの公演とのことである。おいそれと簡単に次はなさそうなのが、残念だ。
NHKが入っていたみたいだから、もしかしたらテレビでやるかもしれない。
気がついた方は、必見EE:AEB30
せっかく横浜まで来たので、中華街に寄って肉まん食べて戻ることにする。
新宿ではハンズにカレンダーを買いに行き、「静電気でくっつくカレンダー」の見本を貰って、地元に帰った。
ところで我が家の壁のクロスは全面ザラザラ仕様で、静電気でカレンダーをつける場所がドアしかない。
もったいないのでドアに貼った。カレンダーとしての使命は全うすることはないだろう。
ドアとしてもカッコ悪い仕様だ。
翌日はライブであった。
そのために私は、やるべき事をひとつ残していた。
「酔ってどれぐらい歌えるか」、これを試したかったのだ。なので、酔ってカラオケボックスに行くという仕事が残っていたのである。
「仕事」として酔い、カラオケボックスへ行き、前日以上に酔って前日以上の二日酔いで目を覚ますのであった。
それがライブ当日である。