人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

キケン・集めるな!

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逃げる。

逃げれば馴染む。

いつからか、そこにあることに違和感を感じなくなっていたのだった。

それは袋だ。分類するならエコバッグになるだろうか。縦は50センチ程もあろう、大きなものである。

そしてそれは数ヶ月前からリビングに置かれたまま、放置されていた。確か全く同じことを、放置期間違いで書いたことがあるような気がする。

つまりそれは、面倒で逃げ、放置し、馴染んだ結果であった。

その中身はいわゆるオマケ、「食玩」・・・・・・。

飽きたり邪魔になったりしたのなら、もっと話は早い。厄介なのは、私はまだこれらに愛着があるからなのである。

そんなに愛着のあるものからなぜ逃げるのかというと、収納に困っているからなだった。

この食玩の厄介極まりない理由に、言葉通り「収納」してしまっては意味がないということがある。

これは見るため愛でるためのものであり、しまい込んでしまったらその存在価値はなくなってしまう。

となると飾る、という収納しか選択肢がないのだが、無節操に集めてしまったため、在庫はかなりの数になっている。

以前大き目のコレクションケースをひとつ買ったが、高かった。

コレクションケースは高いのである。

そして、棚のサイズが決まっているので入らないものも出てくる。

さしあたってまだこのケースに入れられたので(まだ途中だったのだ)、今日、この続きを再開することにした。

給食シリーズ、ファミレスシリーズ。大きくて入らないのは困ったのEE:AE5B1しかしここで留まっておれん、それは後回しにして、ドラッグストアのシリーズへ。

それにしても、見事だ。オマケなどというと単なるお菓子の付属品のようだが、とても精巧にできている。

水筒の中蓋外蓋、お箸の滑り止め、牛丼のご飯なんか見えなくなっちゃうのに、ちゃんと肉の部分と分かれている。

もはや芸術品である。一度見たらもう十分だが。

かと言って手放すのは惜しい。

なんなんだ、この気持ちは。

いっそ全部捨ててしまえれば楽になれるのに。

こんなもの、飾ったところで一体何回足を止めて見るだろうか。

恐らくこの食玩の楽しみの頂点は、飾る時点だろうと思われる。

じゃあある程度時間が経ったら少しずつ処分すれば、場所も取らずケースも買わずに済むのではないか。

それができりゃ、とっくにやっている。

私は呪われているのだ。訳の分からん力で離れられなくなっているのである。

不思議だ。

なんであの小さなフルーツや干物やタバコ屋や寿司が、これ程までに愛おしいのか。

そしてこの後、小さなイスや昔話の名場面や猫やレイ・セフォーに続く。

捨てられるものなどない。乗りかかった船だ。降りることなど叶わないのである。

これは「食玩」の魔力ではない。「コレクション」の魔力だ。

集め始めると、もっと欲しくなる。そしてそれは手放せなくなる。

気をつけるがヨロシ。