見て見ぬふりをして、8ヶ月が経ってしまった。
このまましらばっくれていても、何も変わらないだろう。
観念した。
私しかいないのである。この役目は。光栄ではないか。
言葉とは裏腹に、暗い気持ちでそれを拾い上げた。
・・・正月のお飾りである。まだ放置してあったのだEE:AEB64
恐らく最初は、すぐに何とかするつもりでいた事だろう。その辺にひょいっと置いた。
しかし「その辺」というのは大概なにかの定位置になっていたり、逆に突然置かれると困ったりするものである。
少しずつ動かされていき、最終的には階段に定着した。
毎日何度も往復しているのに、それを見ながら8月である。
いや、むしろ、何度も見ているうちに麻痺してくるのだ。
人間とは「慣れる」動物である。そのお陰で苦痛から逃れてきたのである。
よその人が見たらさぞかしおかしな風景に見える事だろうが、我が家ではそれが日常になってしまった。
階段にお飾り。ことわざみたいだ。
ついでにいうと、その隣には何年も前に買った壁掛けがずっと置いてある。
どこに掛けようかと言っているうちに、これも馴染んでしまった。
我が家では誰も何とも思っていないだろう。
これも私の「観念待ち」だろうが、壁への掛け方が分からないので、これはもっと長くここに残る予定だ。
さて、お飾りがこんなに長い間放置されたには、一応理由がある。
どうしたらいいのかが分からなかったからだ。
ゴミとして捨てるのは気がひける。
これまで毎年、どうしていたんだろう??
想像だが、きっと捨てるに困って毎年どこかに放置かしまい込むか、そして翌年の正月に神社に持って行く、というのが最も私らしいだろう。
実はやはり困り果てて、普通に家庭ごみとして出したことが一度だけあったが、できればもうちょっとまともな方法で処分したい。
まずは調べるところからである。
私の記憶では、「ゴミに出せ」という意見が多かったからゴミに出したつもりでいたのだが、調べてみるとそんな不謹慎な話はあまり見つからなかった。
ただ、「あまり」であり、逃げ道があるにはあった。
お清めをしてから捨てろ、というのだ。
左、右、真ん中、と塩を振り、ゴミ袋の方にも塩を振っておく。
何かの儀式みたいだ。
塩を振るまでは、お飾りに神が宿っているそうである。神を階段に8ヶ月・・・。
むしろあそこに置いておいて、聖地にしてしまえば良かったか。
古いお守りなんかも、まだ残っている。十字架のアクセサリーが処分できない。
もしかしたら、我が家は聖地だらけなのかもしれない。
もはやどこにあるのかも分からないので、秘境になるが。