人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

憧れ、現実、そして希望。

大改革だ。

とうとう動き出すぞ。

そもそも最近まで私は、リビングとダイニングの違いが良く分かっていなかった。

ここの家に越してくるまで「ダイニング」という部屋はなかったり、あっても使ってなかったりしていたせいだろう。

ご飯を食べるのがダイニングで、それ以外の時間に寛ぐのがリビング、そんな認識で良かろうか。

ここの家に引っ越してきて、明らかに「リビング」と「ダイニング」というふたつのスペースができたのである。

別に飯を喰らうのも酒を喰らうのも同じ場所でいいじゃないかと思うのだが、律儀に私たちはふたつのテーブルをそれぞれのスペースに置き、「リビング」と「ダイニング」に分けたのだ。

深い意味はない。そういう部屋割りなのだろうからそれに従っただけである。

これはこれで悪くはなかった。

夜になって「テレビの人」と「ゲームの人」が出てきたりしても、リビングとダイニングに分かれて勝手に好きなようにできる。

ただし、リビングのテレビの方がダイニングのものより断然大きく、座るのもフカフカのソファだ。不公平ではあるが。(そして、ゲーム機はリビングにある。)

こんな感じで、不満の持ちようなどなかったのだが、ある日突然、ふと疑問が沸いたのだ。

なぜ、テーブルはひとつでいいのに、家というものにはリビングとダイニングがあるのだろうか。

私にはその理由が見つけられなかった。

そう思ったら、どうにもリビングのテーブルとソファが邪魔臭く感じられてきた。

これがなくなれば、家の中は広々とするだろう。

寝っ転がったりもできるぞ。

夏場はイ草を敷いて、冬にはこたつを出したり。その方が全然良くね!?

などと漠然と具体的に考え始めた頃、たまたま新聞でダイニングソファの存在を知ったのである。

いっそダイニングにソファを置いて、リビングも兼ねてしまおうということだ。

この頃の家は小さくて狭い作りが多いので、こういうスタイルが出始めたそうだ。

私は早速その話をダンナにしたのだ。

ダンナも乗り気になってくれたのでトントン拍子に話は進み、ついに昨日、ダイニングソファのセットを注文したのである。

洒落たラグを敷こう。

大きなクッションもいいね。

綺麗なすだれも素敵。

・・・などと盛り上がっていいはずなのだが、今になって私はちょっと恐ろしくなってきた。

ウチのエルはウンコタレである。ラグなんか敷いたらどうなる?

ウンコばかりではない。4匹揃ってゲロっぱきで、毎日誰かしらが吐いている状態だ。

だいたいダイニングのテレビの下に、猫のトイレがふたつも置いてあるのだ。

これまでそれは「足元」にあったが、今後これが「隣」となる。

そして、これからも私はここでゲームをやることになる。

酒はどこに置くのか?攻略本とメモのセットは??

想像する。

私は背中を丸めてあぐらをかいて床に座り、その周りには攻略本とメモが散らかっている。

そのうち疲れてゴロンと横になるが、そのはずみで酒の入ったグラスを倒す。

なんと言うか・・・、無駄なものなどひとつもなかったのである。

大切なものを失ったような気がするが、なに、新たに手に入るものがあるはずである。

希望とはそうあるべきなのだ。

私は希望を持っている。

つ、強がってなんかないぞ。