ぽ子の右腕には、無数の傷が入っている。
数は減ったり増えたりするが、消える事はない。
この傷は誇りであり、勲章なのだ。私は堂々とさらけ出しているが、自傷癖ではない。
姫のお戯れである。
もうすぐ3歳になる大人だがチビのエルは、大人だが全く子供で、相変らず派手に暴れて回っている。
子猫の時から溺愛して彼女の乱行を許してきたのだから仕方ないが、ターゲットは物ばかりではない。
それはダンナの手であったり私の腕であったりもするのだ。
しかし私たちは耐える。
まるで耐える事が愛情の証とでも言わんばかりに、誇らしげに耐える。
「これ、エルにやられた」という言葉は、グチではなく自慢なのである。
で、ここ2、3日、私はかなり腰をすえてエルと遊んだので、右腕が傷だらけであった。
心の中でダンナに対して「勝った」とほくそ笑んでいたが、今朝、完敗した。
恐れ入った、と頭を下げてもいい。
彼はエルを心から愛しているのだ。
今朝の一件をお話しする前に、説明しなくてはならない事がある。
エルが入っているこの脳天気な袋は、以前記事にしたが、「おもちゃ」と名付けられているくせにまるで鼻にもかけてもらえず、無駄な買い物をしたと嘆いていたものである。
実は後日談があり、袋に開いている穴を利用して棒などでじゃらしながら遊んでやったら大喜びで、今ではすっかりエルのお気に入りなのである。
ただし、人間が相手をしてやるという前提であり、「勝手に出たり入ったりして遊んでくれる」という当初の期待とは違う結果ではあるが。
特にダンナがこれをエルのご機嫌取りに使っており、毎日必ず何度か部屋にこもる。
フフン、そんなんで勝ったと思うなよ。
猫じゃらしの棒を使っているアナタと違って、私なんて生腕だ。
この手を犠牲にし、痛みに耐えてエルと遊んでいるのだ。
さて、人力によってゴミからエルのお気に入りに格上げされた袋おもちゃであるが、人力で「この袋面白い」と思わせた甲斐あってか、時々一人でも中に入って遊ぶようになった。
まぁ誰も相手をしてくれないから仕方なく、と言う感じではあるが、それでもその姿ははたから見ていて可愛らしく(あ、サラッと言ってしまった)、いい買い物をしたと思うようになった。
時には中で寝ている事もある。
写真も寝ているところを撮ろうと思ったのだが、目を覚ましてしまったのだ。
さて、今朝に時間を戻そう。
朝の忙しい時間であった。
ダンナはテーブルに朝食が並ぶのを、身支度しながら待っていた。
リビングと和室を隔てる戸は開け放してあり、エルはそこでひとりで遊んでいたのだろう。
ところが突然その和室から、エルがもの凄い勢いで飛び出してきた。
なぜか体に例のおもちゃ袋をくっつけて猛スピードで駆け抜けたので、最初私は笑ってしまった。
しかし「あっ!!」というダンナの声とほぼ同時に私も気が付いた。
穴に尻尾が引っ掛かって取れなくなり、パニックを起こしていたのだ。
エルの尻尾はひどいカギ尻尾で、ギザギザを通り越してカクンカクンと何度も折れ曲がり、遠くから見るとまるで丸い大きな玉のような尻尾なのだ。
尻尾の付け根を入れて、関節は5個もある。
これが時々色んなところに引っ掛かるのだが、エルはそのたび酷いパニックを起こす。
大抵は暴れているうちにすぐに外れるのだが、今度は取れなかった。
ブシューブシューと威嚇の音を出しながら暴れまわっている。
こうなると手が付けられない。
しかし、だからと言って黙って見ていられないのが「愛」なのだ。
先に手を伸ばしたのはダンナだった。
彼は素早く袋を取り除いたが、暴れたエルの爪でパアッと腕が切れ、真っ赤な血の筋が腕を伝った。
床にみるみる血だまりができていく。
目の前でこんなに血を見たのは初めてで泡食ってしまったが、その時私が思った事は「負けた」であった。
負けた、羨ましい。
それは彼が私よりもすごい勲章を手に入れた事にでもあり、また、このまるで姫を救い出す王子が如き振る舞いは私にではなくエルにであった事でもあり、つまりこの一件で私は2度負けたのだ。
「親」としてダンナに。
「女」としてエルに。
幸いダンナの傷はそうひどくはなかったが、早く「そうひどい」傷を作って勝たなくては、と思ったぽ子である。