人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

弁当にプライドを

眠いっ!!

あんまり眠いのでダンナが出掛けてからちょっと寝てしまったが、今日は娘ぶー子の弁当の日である(泣)

「泣」などとは言っても、全部「あるもの突っ込んだだけ弁当」である。

弁当を作る手間に「泣」なのではなく、弁当を作るために起きなくてはならない「泣」なのだ。

グスン。

ぶー子も高校3年生になり、グッと弁当の日は減った。

今では水曜日だけだが、週に一度だとますます気合が入らず、しょうもない弁当ばかりである。

たいがいが冷凍品のオンパレードだが、こういう組み合わせは得てして色が悪い。

きゅうりをほんの少し入れる、トマトを添える、それだけで全然見栄えが良くなるのに、それすら億劫である。

それ以前にきゅうりトマトそのものがないのだが。

弁当は私の家事にカウントされていないのだ。

しかし、食材が中途半端に余り、調理法を思いつき、やる気になった時だけ手作りのおかずが入る。

この3つの偶然が重なる事は極めて稀だが、なくはないのだ。

高校に入ってからずっと弁当だったのだ。

真面目に作ってはいなかったが、真面目に持たせてはいたので、それなりの回数になっている。

「今日の弁当、うまかった。」

手作りを出すと、かならず褒められる。

大したものではないのだ。

スパゲッティの残りをケチャップ炒めただけ。

ケチャップで炒めたご飯に卵を混ぜただけ。

フ、そうなのだ、ぶー子はケチャップに弱い。

本当はきちんと手作りした弁当を持たせるべきなのだろう。不憫である。

ケチャップで炒めただけの火の通り過ぎたヒモみたいなスパゲッティ。

レシピ本がないので茹で時間がわからず、グニャグニャに柔らかくなった人参。

晩ご飯の残りをマヨネーズで和えてカモフラージュしたもの。

こんな物でも喜んでいるのだ。

彼女はハンドメイドの暖かみを欲しているのだ。

・・・無理~~~(笑)

弁当の作り方がわかりません(笑)

何度も書いているが、私はレシピがなくては料理ができないのだ。それは弁当も同じ事である。

料理は嫌いではない。

むしろうまいものを食べる努力は厭わないが、レシピを見ながら作るというのはそれなりに手の込んだ料理を作る事を意味している。

私のエネルギーは晩ご飯作りで使い果たしてしまう。

この上弁当まで本を見ながら作るには、時間も気合も残っちゃいない。

今朝の弁当は冷凍のきんぴらごぼうと春巻き、朝ご飯の残りの厚切りハム、あらかじめ切って売ってたサラダ、おとといのカレーの中から引っぱり出した肉と人参とインゲン、以上だ。

ぶー子は「カレー、入れたな(怒)」とほえた。

4月から大学に通う事になったぶー子。

学校に行くには様々な事で金がかかる。

ぶー子は「恥ずかしいから弁当なんて持っていかない。」と言っているが、毎日外食させる金などないッ!!

となるとまだ弁当が続くのだが、実は私の中でちょっと変化が起こり始めている。

もう最後の弁当生活になるのかと思うと、何だかこのまま終りたくなくなってきたのだ。

ぶー子は少しずつ大人になり、私の手を離れていくだろう。

私のしてあげられる事はどんどん減っていくのだ。

今しかできない事がある。

ぶー子が友達に自慢したくなるような弁当を、頑張って4年間作ってみようか。

そんな風に考え始めている。

・・・・・・ほんのちょっとw