私は歯医者のトイレで歯を磨いていた。
今日は仕事が忙しかったので職場から直に来たため、歯を磨く暇がなかったのだ。
狭いがシャレたトイレで、腰に片手をあて、シャカシャカと歯ブラシを躍らせる。
躍る歯ブラシとは対照的に、私の気持ちは大きく沈んでいた。
麻酔をお願いしよう。
その時私は決意した。
そうだ、何とか頼み込んで麻酔をしてもらおう。
何たって、痛いのだ。
そのままなら平気なのだが、物を噛むと痛む。
結構痛いので、できるだけ左で噛むようにしているが、なぜ、神経を取ったのに痛むのだ?
今回は歯に詰めた薬の交換だけだと言うが、こんなに痛む部分をいじったら、相当痛いに違いない。
噛むだけで痛いものを、つっついたり削ったりほじくったりするなんて、痛いと分かりきっているものを、黙って受けるつもりはない。
「お?どう??」
顔を見るなり先生はそう言い、私は挨拶もなしに「痛いです。」とまず言った。
「痛いかぁ~・・・。もう神経の方が相当やられてたんだね。痛いのはその先が炎症を起こしてるからだね。」
先生は言いながら、ゴム手袋をはめる。
炎症でも神経でも、とにかく痛いのはゴメンだ。
「今、痛いんですから、今日は絶対に痛いですよね?」そう聞くと、「ダイジョ~ブ、ダイジョ~ブ♪」と真剣みのない返事。
「だって今もう痛いんですよ?そこを・・・。」「ダイジョ~ブ、ダイジョ~~~ブ♪♪」
まるでとりあってもらえない。
「麻酔をしてくださいッ!!」負けてなるか。この痛みは私の痛みなのだ。
「え~~~!?麻酔はしないよー!!」先生は「ありえない」とでも言ったリアクションだ。
「お願いしますぅ~~・・・。痛いのがわかってるのに・・・。」
「大丈夫だから!!俺を信用してよ!!」
「大丈夫って何ですか!!痛くないって意味ですか!!」
「いや、痛く・・・痛くでも我慢できるぐらいだから大丈夫だって!!」
痛いんじゃん!!
先生は麻酔はしない、大丈夫の一点張りでラチがあかない。
しばらく「いやだ!!」「うわ~ん!!」「助けて~~!!」と口を見せずにダダをこねていた。
その様子を見ていた別の患者さんが、「うちの子供と同じ」と言っていたそうだ。
時間ばかりが無駄に過ぎていくので、観念して口を開けた。
こんなに怖いのは久しぶりである。
体が硬直した。
そこに助手である、先生の奥様が戻ってきて、「暴れた??あら、放心状態・・・。」と笑い出した。
私はいつ痛くなるか、いつ痛くなるかと気が気でなく、奥様に笑われた事など屁でもなかった。
「そのまま口を開けて・・・絶対に喋っちゃダメだよ。バイキンが入るからね。」
先生から念を押されるが、頭の上で先生と奥様がケンカと言い合いのギリギリの境目で会話をしてるのが可笑しくて、我慢ができなくなった。
「フ・・・、フ、フ・・・。」ついに腹が揺れた。
しかし声を出してはいけないのだ。
今度は笑いを堪えている私が可笑しくて、先生と奥さんが笑う。
結局、本当に痛くなかった。
しかし、「痛い痛いと大騒ぎするくせに、実は本当は痛くない」という実績を作ってしまい、今後がやりにくい。
「この間も大丈夫だったでしょ?」と言うチャンスを、むこうに与えてしまったのだ。
次回は来週だ。
予定でいくと、前回の治療で痛くて大騒ぎしたその序盤の部分にあたる治療をする。
ダメもとで、今回と同じ薬の交換だけをお願いするつもりだ。