このところ、暑さにやられてグロッキーだ。
胸の中に鋼鉄の綿毛のようなものが重くモヤモヤとしていて、起き上がろうとすると全身を盾のようなもので押さえつけられて動けなくなる。
ゴッド、気持ち悪い、頭が痛い。
これでは二日酔いだが、それは濡れ衣です、もうホント、キツいんですよ。
二日酔いの疑いを晴らすために、こうして誰も聞きたくもないであろう言い訳のような説明をしているのだが、家事をやらない後ろめたさがあるのだ。
やらないと言ったら普段からそんなにやってはいない。
しかし、やらないものをやらないと思われるのは仕方がないが、やれないものをやらないと思われるのがつらいのだ。
しかし、言い訳は負けを意味する。
本来きちんとした人間で信頼があれば、勘違いや疑いなど起こらないのであり、疑われたりするのはその程度の人間だと思われているという事で、自業自得なのである。
つまりこの場合、普段からグータラしているので誰も私の夏バテなど信じてくれない、もしくは信じてもらえる自信がないという事である。
ここで言い訳などすればますます信頼されなくなることは承知している。
こんな風に自分を守りに入る時、本当に嫌な気持ちになるのだが。
私は「いい人」になりたいと、切望している。
本当になりたいのだ。
思われたい、言われたいのではない、なりたいのだ。
私の思い描く「いい人」とは、自分を殺す、という事である。
思いやりだけで生きていけたら、そんな事は無理なのはわかっているが、そういう人間になりたいのだ。
誤解があってもいい、その人はそう思いたいのだ。
私はその程度の人間なのだ。
しかしそんなのは理想であり、やはりどこかで自分を主張したくなる時が来るのだ。
そんな人間ではないです。
本当はこうなのです。
できるだけ静かに密やかに生きていこうと思いながら、人々の主張に埋もれていく自分を誰かに見つけてもらいたい。
一体この世界のどこに、私を理解してくれようとする人がいるんだろう?
しかしそう思う時、私はもっと人を理解するように努めなくてはいけない事に気づく。
「いい人」にならなくては。
やはりぽ子はそう思うのであった。