人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

適量の弊害

そして土曜日が訪れる。もちろん飲む。飲める日だ。

図らずも金曜日に「適量」で収まったため、体調は万全。肝臓おじさんは試合開始のドカベンのように、どっしり座って「いつでも来い」と構えている。

 

そして私は、相変わらずどう飲んでいいのか困惑していた。

飲み過ぎることへの不安。しかしこのまま飲めなくなることへの不安もまたある。

今までずっと、「酒込み」でやってきたこと。

その最たるものは、「会話」であった。

そもそも私の内向的な部分を解放したのがアルコールだったのである。会話における遠慮だとか恥じらいだとか自信のなさだとか、そういったものを取り払ってくれたのだ。さすがに30年間一緒に暮らして来たダンナには遠慮も恥じらいもないが、折り入った話や楽しそうな話題は飲むまで溜めるようになっていた。なので普段の私は割と無口だと思う。それが解放されるのが、週末の飲酒だったはずなのだが。

金曜日の「適量」で、どうやらこれまで通りにはいきそうにないことが分かったのだった。

いつもなら、話をしながら次に話すことがどんどん浮かんで来て、それはまるで花が咲くが如くであった。

しかし私は極めて冷静で、無駄なことは話したくない。おのずと会話は受け身になり、停滞する。投げかけがあり受け止める、という一方通行で、外野へ飛んで行かないばかりかキャッチボールにすらなっていないのである。

恐らくダンナがいつもより早く眠くなってしまった原因は、ここにあったと思う。

適量で収まった自分が誇らしい反面、今後の飲酒が思いやられる。

 

その「今後」が、翌日の土曜日だったのである。

せっかくの休日なので、飲みに出ることになっていた。

またセーブしながら飲まなきゃならないのかとウンザリしていたが、さりとて深酒も怖いという悩ましい状態であった。

そんなところ「いや、飲まなくては」という方に傾いたのは、兄との飲みが近いことに気が付いたからだ。

兄も酒豪で恐らく今回もかなり飲むことになると思う。しかしこんな状態で急にまた以前のペースに戻れば、どんなことになるのか想像もできない。というか、悪い予感しかない。

いっぱしの下戸みたいな言い方でアレだが、もうちょっと飲む練習をした方がいい。飲むぞ。今回は、セーブしつつも量を飲む練習だ。

 

まずはウーロンハイを注文。トリキのウーロンハイの濃さは、まぁ普通というところ。チェーン店にしては濃い目の部類に入ると思う。

これまではグビグビと飲んでいたが、意識してチビチビと口に運ぶようにする。一方ダンナのビールはカポカポ空いていき、追加注文の度に、私を見て「まだそれ飲んでるのか」というような顔をした。

トリキでダンナは、ビールを4杯ほど飲んだだろうか。そしてワンカップサイズの日本酒を2本。一方私は、ウーロンハイ3杯で収めることができた。ちなみに、3杯目で「適量」を超えたことになっている。

それでもこのペースはでかした。しかしこれでは練習にならん。サイゼでマグナムを飲むことにする。ボトル2本分の巨大ワインである。

ダンナは、「残った分は飲みながら歩いて帰ろう。」と言った。

 

結局私は、グラス2杯しか飲めなかった。上限に達した訳ではなく、ダンナが眠ってしまいそうだったからである。

上機嫌で飲んで睡魔に襲われるまでをつぶさに見て来たが、これまでの自分もこの状態だったかと思うと、良くぞ毎度家まで帰れたものだと思う。と同時に、ひとりだけ敵の陣地に送り込んだような後ろめたさが残った。

思ったよりも、飲酒ペースの違いは、深刻なものをもたらしていることに気が付いた。

ダンナは帰りのバスで眠りこけ、家に着いたら「ごめんねごめんね」と謝りながらすぐに寝てしまった。

残された私は、これまた驚いたことに全く飲酒欲求が湧いてこなかったので、炭酸水を飲みながらゲームをやって、平日と変わらぬ時間に寝た。

 

翌朝も体調は快適、肝臓おじさんも笑顔だったが、日増しに悩みは深くなっていく。

おじさん、もうちょっと頑張れますか?

脳味噌が騒ぎ始めている。