人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

シンガポールスリングはどこへ

「他に飲みたいものがない」ということでもないと飲まない「カクテル」。

嫌いな訳ではないんだが、長々繰り返し飲むものではなく、多量多酔派としてはあまり出番がないのである。アルコールが薄いわりに高いというのも、多量安飲派として敬遠する。

そんな中で比較的よく飲むのは、ジン系やカンパリ系のほろ苦いカクテル。二日酔いの時は圧倒的にラムコークが多い。

一時期、シェイカーなど買ってカクテル作りにハマった時期もあったが、色んな種類を飲もうと思うと莫大な種類のベースと割りものが必要になるということが分かった。

どうせ飲むなら、次々と違うものを味わいたいのがカクテルだ。一般家庭向きではなかったらしい。

 

しかしそんなカクテルの歴史は古く、今でも確固とした人気があり不動の地位を築いている。

まともに付き合うには敷居が高いが、ひとつ、印象に残っているカクテルがあった。「シンガポール・スリング」である。

赤ピンク色の女性らしいカクテル。もう長いこと飲んでいないので、味など忘れてしまった。

その存在すら忘れかけていたところ、突然ふと思い出したのである。

懐かしい。

ところが飲もうと思っても、もうどこのメニューにも見当たらないのである。

シンガポール・スリングはどこへいった?

 

80年代後半ぐらいだっただろうか?その当時は流行っていたのか、よく見かけてすぐに飲めたものである。発祥の地である「ラッフルズホテル」の映画が上映されたりしたこともあったのかもしれない。

その頃、仕事もせずにブラブラしていた私を、父が、タイ、マレーシア、シンガポールと南下する旅行に連れて行ってくれたのだ。

最終地点のシンガポールの、まさにラッフルズホテルでシンガポール・スリングを飲むというサブクエストがあり、到着まで毎晩、行く先々で色んなシンガポール・スリングを飲んでいったのだ。

そこで私は、シンガポール・スリングの味を覚えた。

それから日本でも、しばらくはシンガポール・スリングを良く飲んだものであった。

 

私の思い出の一部が、流行りものとして世の中から消えてしまったとしたら寂しいものだ。

久しぶりにシェイカーなど出して、あの味を再現してみようか。

あの頃の曲でも聴きながら。