人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

画像に首を絞められる。

姿が見えなくなったものをどう扱っていいのか、未だに混乱している。

主に「音源」と「画像」だ。

保存方法がすっかり変わってしまって、ついていけずに取り残されている状態である。

スマホの進化で気軽に画像が撮れるようになったのはいいが、その分どんどん溜まって容量を圧迫するようになってくるのだ。

時々チェックして、その場限りのものは躊躇なく削除はする。しかしそんなものでは追いつかないのである。

 

昔は現像→アルバム、というエンディングがあった。

考えてみれば不思議なことだが、どうして現像しなくなったのだろうか?

現像しなくても、いつでも見られるからか?

でもそれでは、容量がパンクするではないか。

終着駅はどこなのか?

とにかくスマホの容量が厳しくなってきたのでPCに移すようにしたが、これらは溜まる一方でこの後、どうしたらいいものか。

 

例えば、ジャンルごとにディスクに落とし、それをアルバムのように見たい時に見るという方法もあるだろう。

しかし、見たい時にディスクをどこぞに入れてわざわざ見ているところがイメージできない。

手間はアルバムを広げるのと大して変わらないのに、ディスクに入っているという実体のない感覚に馴染めないのである。

 

ではこれまで通り、現像してアルバムに貼るというのが私にはいいのかもしれないが、溜め込んで大量である。

この辺まで考えるともう面倒臭くなり、結論は出ないまま放置に逃げる繰り返しだ。

 

ストレージがすぐにいっぱいになるので、スマホで撮った画像はSDカードに入れるようにしてある。

やがてSDカードの容量は限界に迫り、整理して減らし、それを繰り返しているのに今度はストレージの容量が厳しくなってきている。

一体こっちには何が入っているのかと思いきや、LINEやfacebookで保存したものであった。

もう手に負えないEE:AEB64

 

一度とことん腹を決めてやるしかなさそうだが、その前に「目に見えるもの」の整理が先である。スマホやPCの画像がとっ散らかったところで、目には見えないのである。見えるものが先じゃ。

しかしそうこうしている間にも、画像は溜まっていく。まるで借金の利子だ。

 

便利になるほど、手に負えなくなっていく。

「画像死」なんて目に合う前に、何とかしなくては。