「決意」というほど大げさなものではないが、「気を付ける」だとちょっと弱い気がする。
最近私に、ある思い付きがあったのだ。
とてもいい思い付きである。
いいことづくめだ。
悪い部分などひとつもない。
なので、実行している最中である。
ある日、ダンナが生食用のカキを買って来てくれたのだ。
カキが栄養豊富であることは言わずもがなだが、この私に不足している「亜鉛」を豊富に含んでおり、また単純に私の好物であり、私にとって特別な存在であった。
そんな訳でダンナの方も、このように時々安くなっているのを見かけては、買ってきてくれることがあるのだ。
やはり生で食べるのが、一番美味しい。
ミルキーな口当たり、後から押し寄せる磯の風味。
もしかしたら、この世で一番美味しいのは生ガキかもしれないなどと思う程だ。
一度でいい。
気持ち悪くなるほど、腹を下すほど食べてみたいものだ。
一方ダンナは生ガキを食べないので、私がひとりでしみしみと食べている。
たっぷりの酢に、ひとパック全部突っ込んで漬けておく。
小さいものから順に食べて行く。
ウウッ、美味しいEE:AEB64
しかし、はかない。
なぜ物事には終わりがあるのだろうか。
どんなにしみしみ食べたところで、ひとパックのカキはすぐになくなってしまう。
そこで、思いついたのである。
良く噛んで食べる。
時間をかけて食べれば、その分味わう時間も長くなるという事だ。
それから私は、極限まで噛み砕いてから飲み込むようにした。
意識して気付いたが、これまでいかによく噛んでなかったことよ。
口の中に食べ物が入っている時間は、4、5倍にも増えたのではないだろうか。
調べてみれば、良く噛むという行為は、ダイエット上にも健康上にもいいことばかりであった。
まぁ何となくそんな予感はした。
子供の頃から「良く噛んで食べなさい」などと、何度も言われてきたのだ。
しかし、なぜそれが身につかないのか。
こうして良く噛むことを意識して分かったが、「美味しいものほど早く飲み込みたくなる」のだ。
なぜなんだろうか??
味わっているのは、口だ。その中に入れておけば、その間は「美味しい」という気持ちが続くのである。それなのに、早く飲み込みたくなってしまう。あたかも胃袋が「早くこっちにもよこせ」とでも言っているように。
つまり、
「良く噛んで食べる」ということは、難しいことなのである。
美味しい美味しい、早く早く、という思いを抑えてゆっくり食べるというのは、結構なストレスだ。
だからなかなか身につかないのだろう。
実は同じことを、10年前にもステーキを食べた時に思いついて実行したことがあった。
そして年末だったこともあり、「来年の抱負」として「良く噛んで食べましょう」などと掲げていた。
それがいま身についていないという事は、それなりの結果だったということである。
簡単で、難しいことだ。
それに今、私は挑んでいるところである。