月下美人が咲く夜には、それを見ながら飲む事にしたのだ。
たった一晩しか咲かない、南国の大輪。
芳香を漂わせながらゆっくり花開く時、耳を澄ませばその音が聞こえるという。
母が月下美人をいくつも育てていたのは知っていたが、私はその花を見たことがない。
毎年「分けてあげるわよ」と言われてきたが、育てる自信がなかったのだ。
神秘的なその花を見てみたい気持ちはあったが、そんな一晩しか咲かないような貴重な花を枯らせたくはなかった。
夏、特に私は「枯らせ」に磨きがかかる。
どうしても二日酔いの朝に起きれず、昼過ぎにグッタリしている花を見て私もグッタリ、罪悪感と責任感の狭間で苦しむ季節である。
なので今年は思い切って、夏の間は花をお休みする事にしたのだ。
庭にあるのは、実家から退院してきたハイビスカスと、いくつかの観葉だけであった。
母は今年も「月下美人、つぼみをつけてるから持って行けば?」と言ってきた。
サボテン科なので、そんなに水遣りに神経質になる事はないと言うし、今年は他に育てているものも少ないのだ。気持ちが動いた。
先日、母の元からつぼみをつけた月下美人が我が家にやってきたのである。
大きなサボテン的葉っぱ(これは本当は茎らしい)から、これまた大きなつぼみがダラリとぶら下がっている。
30センチ近くあるつぼみは先のほうに行くほど丸く膨らんでおり、どうやらその部分が花になるのだろうと予想された。
翌日見ると、つぼみは少しばかり頭をもたげていた。
可愛い。
花を育てる楽しみと言うのは、成長が目に見えて分かるところにあるのではないか。
昨日のつぼみが今日膨らみ、明日には咲くのだろうと私の気持ちも膨らんでいく。
次の日に見るとつぼみはますます頭を持ち上げており、私はそれをダンナに報告した。
凄いよ。
あのでっかいつぼみが持ち上がってきたよ。
ところで私の母は、私に似てズボラである。
と言うか、ズボラの母から母に似た私が生まれたのだが、水遣りにしても育て方にしても説明は適当で、いかにもこの月下美人も適当に育てていた感じが覗えたのだ。
おそらくあまり水をやってなかったのだろう。
ここに来て元気になったのだ。
可哀相に、喉が渇いていたんだね。
次の日に庭に出ると、もうグッタリとつぼみは垂れ下がっていた。
ズボラなだけではなく頭も悪い私は、日に当て過ぎたか水が足りなかったかはたまた多かったか、とネットの情報を求めて分かったのだが、・・・終わっていた。
花は人知れず咲き、果てたのである。
オーマイゴー、楽しみにしていたのに。
諦めがつかず、2、3日そのままぶら下げておいたが、まだ数ヵ月後にチャンスはあるとの事なので観念して今日切り取ったのだった。
その後の情報で咲き終わった花は酢の物にすると美味しいと知ったが、これもあとの祭りである。
この一件を母に話すと、つぼみのついた別のと取り替えようと言ってくれたが、何だかハンデのある子犬をペットショップに返品するような悲しさがあるので、秋まで頑張ってこの美人を育ててみようかと考えているところである。