彼は森に入って行った。
今朝、大事に育てていたうさぎが突然走り出し、柵を越えて森に消えて行ったからである。
しかし村人は彼を止めた。
森にはお腹を空かせた狼がいるから、うさぎは諦めろと。
彼はこれまで、誰かが狼に殺された話など聞いた事がなかった。
なので止めるのも聞かず、弓とたった1本の矢を持って、森に入って行ったのだった。
鳥が鳴き、木漏れ日が光る、美しい森である。
彼は時々足を止めては花に見入ったり、目を閉じて小鳥のさえずりを聞いたりして、ゆっくりと先に進んで行った。
やがて彼は左手に、生き物の気配を感じた。
草を踏みしめる音が、ゆっくりとこちらに近づいて来る。
彼にはそれが彼のうさぎだと、すぐに分かった。
彼のうさぎは臆病なのだ。森の奥までは入るはずがない。
ゆっくりこっちを窺うような気配は、彼のうさぎが時々みせるものであった。
なかなか出て来ないので痺れを切らして彼は一歩踏み込んだが、次の瞬間目に飛び込んできたのは、牙をむいてこちらに飛びかかってくる狼の姿であった。
急いで彼は弓を引いたが、それは虚しく弧を描いて、空の向こうに消えて行った・・・。
根拠のない自信と安心感、先に起こりうる事態への想像力の欠如。
村人の警告も「そんな話は聞いた事がない」と真剣に取り合わなかったのは、最悪の事態を考える面倒から逃げたのかもしれない。
彼は「備える」ということをしなかったがために、自分の命を落とすのである。
楽観が招いた悲劇である。
私は森に入って行った。
今朝、大事に育てていたうさぎが突然走り出し、柵を越えて森に消えて行ったからである。
しかし村人は私を止めた。
森にはお腹を空かせた狼がいるから、うさぎは諦めろと。
私はこれまで誰かが狼に殺された話など聞いた事がなかったが、散弾銃と弓と、ズッシリ重い何本もの矢を持って、森に入って行ったのだった。
薄暗く静まり返った森は、ただでさえ狼に怯える私を怖がらせる。
時々鳴く小鳥の声にも飛び上がり、花びらが足に触れれば1歩下がった。
重い武器は肩に食い込み、疲れ、怯えきった私は、もう私のうさぎは現れないような気すらしてきた。
やがて私は左手に、生き物の気配を感じた。
草を踏みしめる音が、ゆっくりとこちらに近づいて来る。
狼だ。私は直感的に思った。殺される。
そして肩にかけていた矢を夢中になって全部放ち、森が再び平和な静寂に包まれている事がわかると、恐る恐るそこへ近づいていった。
果たして私が見たものは、真っ赤な血に染まった自分のうさぎであった。
臆病者ほど早く矢を引く。
自分を守るために、万が一でも行動に移してしまうのだ。
その先には「自分を守りたい」という深い自己愛がある。
自分が傷つかないために全てを疑い、多すぎる矢を背負う。
荷は重く、周りは敵だらけである。
何本の矢を持っても、どんなに新しい銃を持っても、私の心が安らぐ事は永遠にない。
そして大切なものを、ひとつずつ失っていくのである。
彼にも私にも、決定的に足りないものがある。
しかしそれは、裏返せば不必要な要素にもなり得るのだ。
私に足りない「楽観さ」が彼の命取りになり、彼に足りない「慎重さ」で私はがんじがらめになっている。
私も彼も間違った道を行ってしまったが、それは結果あっての事である。
どう進む方が正しいのかは、誰にもわからないだろう。
しかし。
私が森の中で恐怖に怯えながら歩いている時、彼は花を愛で、小鳥のさえずりに心を癒されていた。
臆病者よ、間違った矢を放つなかれ。
同じ先の見えない道中なら、口笛でも吹きながら進んだ方が幸せなのではないか。
長い間に背負い込んだ荷はしっかり肩に食い込んでビクともしないが、ひとつずつ落としていきたい。
そして後ろからやってくる彼がそれを拾い、彼の窮地を救ってくれる事を願って。