昨日、新宿のサブナードに行った時のことだ。
いつもは行かない奥地まで足を伸ばすと、いつの間に熱帯魚屋ができていた。
ぽ子は生き物が大好きである。
猫を始め動物はもちろん、昆虫や魚だって見ているのはとても楽しい。
私は引き込まれるようにその店に入ったのだが、いやぁ素晴らしい(笑)
大きな水槽の中に、幻想的な世界が出来上がっていた。
実は過去に、熱帯魚を飼ったことがある。
結婚してからだ。
大きな水槽を買い、色とりどりの熱帯魚やエビを入れた。
綺麗である。
そのうちいつの間に貝が育っていたりして面白い。
掃除屋と呼ばれる、コケやゴミを食べる働き者もいた。
エサをあげると寄って来る。
かわいかった。
しかしだ。
ぽ子は基本的にグータラで飽きっぽく、根性がない。
そういう人間が熱帯魚を飼うとどうなるか。
水槽の掃除や水の取り替えなど面倒な仕事は、始めからダンナばかりがやっていた。
しかし情熱がなくなってくるとその間隔は次第に長くなり、「もう終わりにしたい」という気持ちになっていった。
小さな魚である。寿命は短い。
少しずつ数が減り、新入りを入れる事をやめ、そのうち水槽の住民はいなくなった。
熱帯魚は無理だ。もうゴメンである。
しかし、また過ちを犯してしまった。
無理なのだと悟ったにも関わらず、また飼いたくなったのだ。
ダンナは猛反対したが、「今度は大丈夫」と押した。
かくしてまた玄関に水槽が置かれ、美しい熱帯魚が優雅に泳ぐようになったのだが。
実は心が痛むのであまり言いたくないのだが、懺悔の意味も込めてあえて書く。
やはり全滅した。
エサをやらないという事はさすがにしなかったが、水槽の掃除という面倒な事をしなくなったのだ。
そのうち水槽はにごり、機械が壊れたのかコケが生え始め、しまいには中の様子さえ見えないほどになった。
水もそのまま放置していたのでだんだんと量が減り、ドブのような臭いを発するようになった。
こうなるともう、この現実から目をそらしたくなる。
熱帯魚は全滅したが、掃除屋だけが頑張って生きていた。
恐らくコケなど食べて生き延びていたのだろう。
彼が生きていることはわかっていたので水槽を片付けることをしなかったのだが、かといって何かをした訳ではない。
水位はもう水槽の4分の1程になっていた。
あまりに臭うので意を決してケリをつけることにしたが、もう掃除屋もいなくなっていた。
謝って済むものではない。
自分の犯した罪の大きさに耐えられず、私はこの出来事を心の奥深くに封印した。
卑怯だが、正面から向かい合う勇気がないのだ。
しかし昨日、熱帯魚屋の水槽の中の魚たちを見たら、忘れていた感情が蘇ってきた。
自責の念ではない。
「かわいいから欲しい♪」
の方である。
早速ダンナに言ってみたが、いいと言う訳がない。
エサやり以外の面倒な世話は一切彼がやったのだ。
あのドブの始末も。
私の仕事は熱帯魚を選ぶ事とエサやりだけであった。
仕方なく断念したが、これによってたくさんの小さな命とダンナが救われた事であろう。
残念だが異議はない。