「え・う♪」
相変わらずダンナの「えう熱」は冷めず、溺愛の毎日である。
毎日「えう、かわいい~~♪」と遠くから眺め、「えう、どうしたのぉ?」とどうもしてないエルを撫で、下僕、奴隷以下の状態になっている。
ところでダンナはどうやら「えう」と「エル」をうまく使い分けるところで落ち着いたが、私の方は現在「エルちゅう」という呼び方が気に入っている。
娘ぶー子は「えっちゃん」「えっ太」と田舎者風に。
しかしエルによる言語の乱れは、他にも様々な部分に及んでいる。
この頃夫婦でハマッているウォーキングだが、普段ほとんど喋らない分、ここでは良く喋っている。
「うんうん。」
「それで?」
「ほー。」
「まじで~?」
会話をするにあたって、相槌は重要な役目を果たすものである。
「聞いてますよ。」
「興味がありますよ。」
「もっと話してください。」という意思表示であり、これがあまり単調になると、真剣に聞いていないような印象を与えてしまう。
そこで私はこの頃「リアリ~?」という相槌もバリエーションに入れたのだが、ある日のウォーキングの会話でも、ありがたくそれを使っていた。
「リアリ~?」
「エル。」
??
あれ?何か聞き間違えたか?
「リアリ~??」
「エル。」
「今、何つった??」
私は耳が遠いので、良く相手の言葉聞き取れない事がある。
3度も言わせてごめん、と思ったが、
「エルって言った。」
ダンナはハッキリそう言った。
あまりに唐突にエルの名前が出てきて、前の会話との接点を見出せず戸惑っていると、
「『YES』って意味なの。『エル』は。」
彼はサラッとこう言った。
エル・アイドゥ~~(泣)
わかりました、覚えておきます~~~!!
しかし「エル」の意味するところはそれだけではなかった。
ヨークマートで買ってきた「クリーム大福」を食べた時には
「エルうま~~~!!」と言ったし、
これには「『エル』には『最上級』の意味もある。」と解説していたが、比較級に使った事もあり、もう彼もこの言葉の乱れを制御できないようである。
いや、言葉だけではない。
彼自身が乱れてきている。
先日新宿で食事をした帰り、繁華街を駅に向かっていると、先を歩いていたダンナがピタッと立ち止まって振り向いた。
そして遠くの看板を黙って指差し、ニタァ~~ッと笑った。
そこには「エル・フラメンコ」という店名のレストランの看板が掛かっていた。
「エル」は「肯定」である。
「エル」は「最上級」である。
そしてエルは「愛のかたまり」なのであった。