やらかした。
本当にどうかしていた。しかし人間とは恐ろしいものである。どんなに慎重に生きているつもりでも、自分は自分にしかなれないのだ。客観視するのは難しい。客観視なんて結局、自己満足なのか。
穴があったら入りたい。しかし現実は手厳しい。さらけ出された私の失態。針のムシロとはこのことよ。時が風化させるのを待つしかないのか。
気持ちは重い。
しかし苦しい中で、辛うじて思うことができた。良かったじゃないか、と。こんな自分であったことを知れたのだ。私は間違っていた。間違っていたことに気付いていなかった。まるで気づいていなかった。このまま気付かず終わるかもしれなかったのだ。そう考えると、そっちの方がもっと恐ろしかった。
私はこの苦悩を受け止め、然るべき見えない罰を受け、苦しんでやっと、顔を上げることができるのだ。その時の私はもう、以前の私ではない。
もう二度と、こんな間違いはしない。
愚かだった。
成長や気づきは、苦悩からしか生まれない。
幸福は、何も生み出さないのだ。
油断するなよ、幸福なんてただのトラップだ。浮かれてると、足元をすくわれる。幸福な時ほど、慎重に生きるべきだったのだ。
失敗と後悔を繰り返し、今の私がいる。
なるほど、人生は修行だ。しかし逃げずに向き合えば、少しずつ生きるコツが分かって来る。そんな頃に油断するのもまた、人間。私はまた、やらかした。
それでも、またひとつ自分を知ることができたと思える余裕が生まれている。辛くとも、やれることをやるだけだ。へっぴり腰でも、逃げずに向かい合えた。
もう二度と、こんな間違いはしない。
困難に感謝するほど達観はできないが、「苦労は買ってでもしろ」という言葉に間違いはないだろうと思う。
人生は苦悩と成長の連続だ。乗り越えられない困難などないと信じられれば、その先に、束の間の幸福が待っているだろう。
苦悩なんて、ゲームにしてしまえ。攻略して、クリアするのだ。逃げないで、しっかりと目を開けて。ルールはたったひとつ、自分を守らないこと。
敵は他人ではなく、自分だ。
肝に銘じて、次の困難に備える。