空を見上げる。
澄み渡る季節だ。どこまでも青く、広がっている。
見下ろせば名も知らぬ雑草がひっそりと咲いており、小さな虫がその恩恵に与ろうとしている。
コンクリートに埋め尽くされつつあっても、この地球の美しさはまだまだ残されているのだ。
それはあまりにも当たり前のようにそこにあるから、気付かないだけだった。
空が、花が美しいのではない。この世は美しい。美しいもので溢れている。
そんな世の中を、ほんのいっとき生きて、私達は去っていくのだ。その生死すら、美しい。
もう二度と出会えなくなるのである、庭のバラにも近所の川に住むカモにも友達にも家族にも。
そう思うと全てがはかなくて、手放したくなくて、愛おしくなる。
それがより一層、全てを美しくする。
あと30年生きるかもしれないし、もうすぐ死ぬかもしれない。
そのどちらでもきっと、短い人生だったと思うことだろう。
ままならず苦悩多き「生」をもう繰り返したくないと思う反面、この美しい世界ともう一度出会いたいとも思う。
死が無であれば、選べる余地はない。この世とは、永遠の別れとなる。
なぜみんな、平然と生きていられるのだろうか。
なぜ私はこんなにのんびりしているのだろうか。
有難いことに、人は愚かだ。だから立ち止まらずに生きていける。
愚か者が作り出すこの世界にも、美しさは溢れているのだ。
愚と美の共存する矛盾多きこの世界を、垣間見て去っていくのが私達。
何かを残す人もいるだろうが、私は脇役として終わっていくだろう。
こんな私にも、生きる喜びを与えられたことには、感謝しかない。
もちろん辛いこともたくさんあった。
しかし今はそのどれも、自分に必要だったと思えるのだ。
悲しいことに、人は愚かだ。失敗から学ぶのである。
ここまで書いておいて、まだ私は変わりそうにない。新年明けたところで、目標も抱負もありはしないのだ。
今年もまた、空を見上げて阿呆のように「綺麗だな」と思って終わることだろう。
のん気なものだ。
そんなんでちょっと、起爆剤を探しに行こうと思う。
見つかるといいんだが。