人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

賞味期限

今週のお題「きれいにしたい場所」

 

それを私に聞くか(笑)そんなんもう、全てだ。くまなく全て。家の中、どの部屋も、廊下も玄関も、隅から隅まで。外だってそうだ。駐車場、庭。窓も、カーテンも、ブラインドも。

「綺麗にする」とは色んな意味があるが、「片付ける」も「美しくする」も「清算する」も、この場合どれも含んでいる。とにかく「全て」「綺麗にしたい」のだ。

例えば今、顔を上げて見れば、壁のコルクボードには6枚の紙が貼ってある。

そのうち3枚は確実に期限切れのもので、残りのうち一枚は何年か前から貼り出されている、やりたいことのメモ。少々手を付けたまま時は流れた。しかしまだ期限は切れておらずやる気があるのが微妙なところだ。もう一枚は、「無事に笑顔で会えますように」と書き添えられたアマエビさんの絵。これどうする。もうどうしたらいいか分からん。そして真っ当にその場にあるのは、次回の病院の予約表だ。

全てがこんな感じである。

賞味期限があるのは、食べ物だけではない。

良かれと思ってそこに置いておいたものも、時間経過で鮮度が落ち、そこにいる意味が薄れていく。

本来なら時々見直さなくてはならないのだろうが、私の場合、人より賞味期限が長いので、それが切れる頃にはもうその存在を忘れているのである。

かくして「やっと」見直した頃には、期限切れにどんどん「良かれ」が追加増量されている。片付かない訳である。かといって見直し頻度を上げたところで賞味期限が長いため、そうそう減りはしないのだ。

となると賞味期限を短くせよ、ということになる。

賞味期限とは、感覚だ。作業や労働ではない。感覚的に「こうしたい」と思っているものを変えるのは、難しい。そこにあるべきだと思っているから置いたのだ。その気持ちが変わらないうちに動かすことには、ストレスがある。さりとてこの片付かない状態も、ストレスだ。

 

こうしてガッチリとどうしようもない状態がキープされている。

この他に、収集した切手やコインや食玩が、長年の困りものとして控えているのだ。

「きれいにしたい場所」。

それ、聞きますか??