今週のお題「手づくり」
手づくり、とはアートだ。
なにもそれは、「作品」でなくてもいい。
作り手の思惑が反映される、この世にたった一つのもの。
毎日の弁当でも朝ご飯でも、そして晩ご飯もまた然りなのだ。
例えば、二日酔いのポロ一(初めましての方、閲覧ありがとうございます。ポロ一とは『サッポロ一番』のことでございます)にしろ、柔らかく煮て胡椒と一味、激辛調味料をかけ、卵を割り入れて、納豆とキムチも乗せれば「ぽ子スペシャル」の出来上がりだ。
芸術に、上手いも下手もない。自分だけが創り出すオリジナリティだけが、ニュートラルに存在する。結果はまた、別の話だ。
毎日の調理、これもまた芸術であることに気付く。
今日は何にするか、味付け、盛り付け、豪快に、はたまた美しく。
毎日の作業として繰り返すが故に、その芸術性の意識は埋もれてしまっていた。
私達は無意識に、芸術作品を量産していたのである。
主婦は皆、アーティストだ。
・・・とまとめたいところなのだが、実は私はアーティストではないらしい。
食べることが好きなので、料理も好きだ。自分で言うのもなんだが、結構手の込んだものも良く作る方だと思う。
しかしだ。
主婦歴30年にもなるのに、私はレシピを見ないと調理ができないのである。
食いしん坊が故に、レシピ本を見るとそれが食べたくなる。なのでそれを作る。
それを繰り返したために、自力で作る能力が育たなかったのだ。こうなると下手にオリジナルを作るより、レシピに倣った方が断然美味しい。だからレシピ通りに作る。ますます自力で作れなくなる。その悪循環だ。
なので、「あるもので作る」ということができない。
毎日冷蔵庫の材料を見て、レシピ本から「その材料を使うレシピ」をチョイスする。そのためにまた他の食材を買い足し、今度はそれが余る。その繰り返しで、冷蔵庫は常にパンパンだ。
そのくせ朝になると、弁当の隙間埋めができなくて困る。
食材はあるのだ。でも、使い方が分からないのである。
朝のくそ忙しい時に、のんびりレシピを探してじっくり調理している暇などない。あるものでチャチャッとができないので、結局卵焼きだ。
ということも、いい加減何とかしたくなってきたのだ。ある時ヤケクソで適当に作ってみた。オクラが余っていたのでレンチンして、マヨネーズにカレー粉少々。以上。
不思議な気持ちだった。
弁当箱の隙間が埋まったスッキリ感と、ハンパのオクラが片付いたスッキリ感。
昼には余っていた水菜をサラダにした。
水菜は好きじゃなくて、なかなか手が出なかったのだ。じゃあ食べたい味にすればいいじゃん、とドレッシングを作ってみた。粉チーズをたっぷりとおろし玉ねぎ、ワインビネガー。オリーブオイルはあんまり好きじゃないから、クセのないサラダ油で。
めっちゃ食べたぞ、嫌いな水菜。
そうか、食べたいように作ればいいだけじゃないか。
残り物と調味料。これだけで、無限大の可能性がある。私の好きなものを使って、食べたい味にすればいい。
失敗もするだろう。
でもその失敗すらしてこなかったのだ。その結果が今の「ゼロ・オリジナリティ」なのである。
今さらながら、料理ってやつを自力でやってみようじゃないか。
とは言え、まだ「ワン・オリジナリティ」の一年生だ。基本的にはレシピを見ている。そっちの方が美味しいからね(笑)
まずはハンパものの処理から。
ひき肉少々が冷凍庫で眠ってるぞ!