キッチンに立つと、呼びもしないのに猫がやってきた。
いつもの餌場に来て、ニャ~とひと声。
はいはいはいはい、仕方なくご飯を入れてやる。
私は私で用があってここに来たのだ。中断されるストレスを感じながらも信頼関係を壊したくないので従っている。奴隷だ。
大五郎はスンスンと匂いを嗅ぐと、目を閉じて勢い良く食べ始める。「合格」だ。
食べ物の選り好みが激しく、気に入らないとプイといなくなってしまう。これは新しく買ったので、味覚的鮮度が高いのだろう。気に入ってくれたようだ。
美味しそうに食べている大五郎を見ていると、気持ちがいい。やろうとしていたことをいっとき忘れ、大五郎に見入っていた。
何だろう、幸せだな。
こんな瞬間のために、猫と暮らしているのかもしれない。
差し出した水を飲む時。
ブラッシングをしている時。
布団の中で喉を鳴らしている時。
私は何とも幸せな気持ちになる。
猫の幸せが、私の幸せになっているのである。
猫を幸せにする幸せ。
そうか。猫の幸せが、私を幸せにするのか。
だから奴隷なのである。
猫を幸せにする幸せ。
これは、人に対しても言えることなのかもしれない。
人を幸せにすることが自分の幸せになるなら、人生は幸せで溢れることだろう。
見返りがないことが前提だ。
猫は、お礼すら言わない。
それでもこんな幸せな気持ちになれるのだ。
対価を求めれば、その分だけ幸せから差し引かれてしまう。イーブンでいきたいなら、何も求めない。
パソコンに向かっていると、エルがトコトコと寄って来た。
座ったままそちらに向きを変えるとポンと膝に乗り、毛づくろいをするとスヤスヤと眠った。
リターンはある(笑)
眠るエルを見て、また私は幸せになるのだ。