人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

ロカボ餃子

糖質オフ生活も数ヶ月になり、コツが分かって来たのだ。

「低糖質縛り」の中でいかに満足度を上げるか、楽しくなっている。

以前挑戦した時には面倒臭くてすぐに挫折したが、同じことでもタイミングで違う結果になることがあるものである。何でも、何度でも、挑戦してみる価値はあるぞ。

 

私が実践しているのは「オフ」といっても「ゆるオフ」であり、細かいことには目をつぶっている。

イモ類以外の野菜や、調理上まぶす程度の粉類はセーフ。

週末は好きなものを食べているし、ストレスを感じるようなことは今のところないと言っていい。

これはアウトというものもハッキリしている。炭水化物だ。

ゼロにはできないから、基本的に麺類、パン、ご飯ものを極力控えている。

まぁ週末はその限りでないのだ、これとてストレスはない。

 

しかし平日にそれを食べるのは、やはりちょっと気が引けるものだ。平日の我慢があるからこそ、週末の自由が謳歌できるのである。

主食を抜くのはいい。

ところが微妙なものが出てきたのだ。

 

皮だ。

 

餃子が食べたいと思って気が付いたが、餃子の皮は小麦粉でできているではないか。

しかし「皮」だ。調べてみても、大した糖質量にはならない。

とは言え、まぶす程度と話は違う。モノは手に取れるほどの確固とした形を成している。それが私をためらわせた。

ただでさえ「ゆる」なのである、こんな切断前の麺類に酷似したものまで許していたら、「ゆるゆる」になっていかないか。

ボーダーは必要だ。これはボーダーをオーバーしてる。

 

そこで私は、置き換えを考えた。そして思いついてしまった。

油揚げに詰めて袋焼きにしたらどうか?

我ながらナイスアイデアである。

ダンナは具材として使うしんなりした油揚げが嫌いだが、カリッと焼けた袋焼きは大好物である。

こいつは驚くぞ。

 

私のアイデアだ、一抹の不安はあったが、やらねば結果は出ない。結果が出なければ改善もできない、前へ進めないのである。

油揚げを湯通しし、餃子のタネをパンパンに詰める。タネは「プロの味」かなんか言うレシピに倣った。

爪楊枝で口を留めたら、あとは餃子を焼く要領で焼き上げた。

 

そう、水を入れて蒸したのである。仕上げに水分を飛ばせばカリッと仕上がると思ったのだ。

 

中まで火が通るよう時間をかけたので、油揚げには軽く焦げ目がついていた。いい感じである。

箸で持ち上げて見ると思いがけず柔らかかったが、思い切ってかぶりついてみた。

すると、

 

 

 

 

ジュワッ

 

 

と、スポンジを絞ったように水分が溢れ出したのだ。

まるで高野豆腐で包んだ餃子である。

ジューシーという言い方もあるかもしれないが、それを求めてはいない。これ、ダンナが嫌う油揚げの要素の塊ではないか。

 

ジューシーな餃子を食べながら、思った。

そりゃそうだよな、じっくり時間をかけて水分をしみ込ませたのである。こうなってしかるべきではないか。

本来の餃子は小麦粉の皮だから、水分を含んであの仕上がりになるのである。

 

残念な餃子は、パンパンに膨らんだものが全部で10個。

本当に残念である。