糖質オフ生活も数ヶ月になり、コツが分かって来たのだ。
「低糖質縛り」の中でいかに満足度を上げるか、楽しくなっている。
以前挑戦した時には面倒臭くてすぐに挫折したが、同じことでもタイミングで違う結果になることがあるものである。何でも、何度でも、挑戦してみる価値はあるぞ。
私が実践しているのは「オフ」といっても「ゆるオフ」であり、細かいことには目をつぶっている。
イモ類以外の野菜や、調理上まぶす程度の粉類はセーフ。
週末は好きなものを食べているし、ストレスを感じるようなことは今のところないと言っていい。
これはアウトというものもハッキリしている。炭水化物だ。
ゼロにはできないから、基本的に麺類、パン、ご飯ものを極力控えている。
まぁ週末はその限りでないのだ、これとてストレスはない。
しかし平日にそれを食べるのは、やはりちょっと気が引けるものだ。平日の我慢があるからこそ、週末の自由が謳歌できるのである。
主食を抜くのはいい。
ところが微妙なものが出てきたのだ。
皮だ。
餃子が食べたいと思って気が付いたが、餃子の皮は小麦粉でできているではないか。
しかし「皮」だ。調べてみても、大した糖質量にはならない。
とは言え、まぶす程度と話は違う。モノは手に取れるほどの確固とした形を成している。それが私をためらわせた。
ただでさえ「ゆる」なのである、こんな切断前の麺類に酷似したものまで許していたら、「ゆるゆる」になっていかないか。
ボーダーは必要だ。これはボーダーをオーバーしてる。
そこで私は、置き換えを考えた。そして思いついてしまった。
油揚げに詰めて袋焼きにしたらどうか?
我ながらナイスアイデアである。
ダンナは具材として使うしんなりした油揚げが嫌いだが、カリッと焼けた袋焼きは大好物である。
こいつは驚くぞ。
私のアイデアだ、一抹の不安はあったが、やらねば結果は出ない。結果が出なければ改善もできない、前へ進めないのである。
油揚げを湯通しし、餃子のタネをパンパンに詰める。タネは「プロの味」かなんか言うレシピに倣った。
爪楊枝で口を留めたら、あとは餃子を焼く要領で焼き上げた。
そう、水を入れて蒸したのである。仕上げに水分を飛ばせばカリッと仕上がると思ったのだ。
中まで火が通るよう時間をかけたので、油揚げには軽く焦げ目がついていた。いい感じである。
箸で持ち上げて見ると思いがけず柔らかかったが、思い切ってかぶりついてみた。
すると、
ジュワッ
と、スポンジを絞ったように水分が溢れ出したのだ。
まるで高野豆腐で包んだ餃子である。
ジューシーという言い方もあるかもしれないが、それを求めてはいない。これ、ダンナが嫌う油揚げの要素の塊ではないか。
ジューシーな餃子を食べながら、思った。
そりゃそうだよな、じっくり時間をかけて水分をしみ込ませたのである。こうなってしかるべきではないか。
本来の餃子は小麦粉の皮だから、水分を含んであの仕上がりになるのである。
残念な餃子は、パンパンに膨らんだものが全部で10個。
本当に残念である。