人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

収穫の夏

また庭に出るのが苦痛になってきた・・・。

熱帯魚が全滅する前に、このような気持ちになった気がする。

自分の責任の上で起こっていることなのだ。責任が取れないことが分かってくると逃げ出したくもなる。

ナスときゅうり。

私の責任が問われる部分は、予備知識のないままに育て始めたことだ。特にきゅうりに哀願されている。助けてくれと。

植物など、土と水さえあれば育つ。

これまでの失敗は、夏場の水不足であった。

週末の二日酔いで、水遣りが追いつかないのである。

しかしそれは、言い換えれば「週末の水さえちゃんとやっていれば育つ」ということだ。

これまでできなかったことが今回できるのかという最大の不安は、「収穫への期待」で乗り越える。

朝がダメなら、日が落ちてから翌朝の分をやってしまえばいい。

実際これで、ギリギリながら何とかなっていた。

やがてナスもきゅうりもかわいい実をつけた。

ここからが試練である。

まず、きゅうりの成長が著しく、支柱の高さが足りなくなってきた。

これはもう1本足すか・・・、と考えたが、どうもよそさまの「うり系」を見ると、支柱は1本ではなく、絡みやすいように数本立てているか、ネットである。

もしかしてこの子は、あちこちに伸びていきたいのではないか?

そんな疑問を消化しようと考えているうちに、支柱が倒れるようになった。

そもそも植えたのは、深さのないプランターである。

そこに長い支柱を無理やり刺したので、不安定ではあった。

なので支柱の先を窓のふちに寄りかからせていたのだが、どうしたことか、朝になるといつも倒れている。

毎日支柱の上下運動をしているのだ、恐らく根っこにいくらかダメージはあるだろう。

しかし今さらどうしていいのか分からず、私は機械的に毎朝ただ倒れた支柱を立てていた。

きゅうりの実はその後も増えたが、そのどれもが3センチほどでしぼんでしまった。

ナスの方は収穫時が分からず大きくなるのを待っていたが、ある朝キッチンにしぼんだものが置かれていた。

「もうしぼみそうだったから取ってきたよ。」とダンナ。大きさは10センチもない。

私の夢見ていた収穫の形とは、断じてこのようなものではない。

とはいえ、明らかに責任は私にある。何とかしなくてはいけないのも私なのだが、もう今更どうしたらいいものやら。

辛うじて毎朝水をやっているが、見ているのは土だけである。

もう顔を上げられない。