また庭に出るのが苦痛になってきた・・・。
熱帯魚が全滅する前に、このような気持ちになった気がする。
自分の責任の上で起こっていることなのだ。責任が取れないことが分かってくると逃げ出したくもなる。
ナスときゅうり。
私の責任が問われる部分は、予備知識のないままに育て始めたことだ。特にきゅうりに哀願されている。助けてくれと。
植物など、土と水さえあれば育つ。
これまでの失敗は、夏場の水不足であった。
週末の二日酔いで、水遣りが追いつかないのである。
しかしそれは、言い換えれば「週末の水さえちゃんとやっていれば育つ」ということだ。
これまでできなかったことが今回できるのかという最大の不安は、「収穫への期待」で乗り越える。
朝がダメなら、日が落ちてから翌朝の分をやってしまえばいい。
実際これで、ギリギリながら何とかなっていた。
やがてナスもきゅうりもかわいい実をつけた。
ここからが試練である。
まず、きゅうりの成長が著しく、支柱の高さが足りなくなってきた。
これはもう1本足すか・・・、と考えたが、どうもよそさまの「うり系」を見ると、支柱は1本ではなく、絡みやすいように数本立てているか、ネットである。
もしかしてこの子は、あちこちに伸びていきたいのではないか?
そんな疑問を消化しようと考えているうちに、支柱が倒れるようになった。
そもそも植えたのは、深さのないプランターである。
そこに長い支柱を無理やり刺したので、不安定ではあった。
なので支柱の先を窓のふちに寄りかからせていたのだが、どうしたことか、朝になるといつも倒れている。
毎日支柱の上下運動をしているのだ、恐らく根っこにいくらかダメージはあるだろう。
しかし今さらどうしていいのか分からず、私は機械的に毎朝ただ倒れた支柱を立てていた。
きゅうりの実はその後も増えたが、そのどれもが3センチほどでしぼんでしまった。
ナスの方は収穫時が分からず大きくなるのを待っていたが、ある朝キッチンにしぼんだものが置かれていた。
「もうしぼみそうだったから取ってきたよ。」とダンナ。大きさは10センチもない。
私の夢見ていた収穫の形とは、断じてこのようなものではない。
とはいえ、明らかに責任は私にある。何とかしなくてはいけないのも私なのだが、もう今更どうしたらいいものやら。
辛うじて毎朝水をやっているが、見ているのは土だけである。
もう顔を上げられない。