四十九日、納骨だ。
事情があってウチの家族3人だけのシンプルな儀式になるが、そもそもはダンナとふたりの予定だったのである。
娘ぶー子も来ると言ってくれたので、2人が3人になったのであった。
家族なのだからぶー子が来るのはある意味当たり前なのだが、実は私は、敢えてぶー子には詳しい事を言っていなかったのだ。
色々あって、この儀式自体がダンナのプライベートなものになっているイメージだったし、だいたいぶー子はいついるんだか本人ですら分からない状態なのである。
アテにしていなかった事もあるが、もうひとつ、ちょっとした個人的な問題があった。
納骨、つまり法事である。
お坊さんがお経を読む儀式なのである。
絶対に笑ってはいけない、神聖な儀式なのである。
絶対に笑ってはいけない、お坊さんがお経を読む儀式なのである。
今回はダンナの実の母親の四十九日なのだ。
笑う事を恐れているなどとはダンナには言えない。
私だってふざけているわけではない、真面目に考えているから出した結論だったのだ、ぶー子に知らせないという事は。
なので昨日の夜、土壇場でやっとぶー子に言ったのだが、ぶー子は「私も行くっ」と躊躇せずに答えたのだ。
こういった気持ちは大切にしなくてはならない。
そして、おかあさんも、その方が喜んでくれるだろう。
分かっている、分かってるんだけど・・・。
「笑いを堪えていること」を悟られると、私はなお可笑しくなってしまう。
「笑いを堪えていること」を想像されてると思うのも、同じだ。
つまり、私のこういう性質を知っているぶー子がいること自体が危険なのだ。
ぶー子も同じ性質を持っているが、彼女はかなり我慢強いので良く耐える。
不公平である。
・・・不安だ。
広い会場に、私たち3人分のイスが置いてあり、3人で座った。
若いお坊さんが入ってきたが、別に普通のお坊さんだ。
普通のお坊さんなのだが、早速「百人一首みたいな格好」と頭によぎり、第一波が押し寄せた。
しかしこんなのはまだ良い方であった。
彼は、「お焼香が終わったら、そこの赤い本を持って行って下さい。後でみんなで一緒に唱えます。」と告げたのである。
赤い本は、初心者向けの経本であった。
い、一緒にみんなでお経を・・・・・EE:AEAC6
私はしらばっくれて、ダンナのおかあさんに思いを馳せた。
「そのモード」に入ってはいけない、私はただ法事に来ただけである。
言われればおかあさんの為に、お経だって唱えますよ。
「では3ページを開いてください。」
そこには漢文のように、漢字だけが大きな文字で書かれていた。
仮名が振ってあるが全て音読みで、音だけではさっぱり意味が分からない。
読むだけだ。この通りにただ読めばいいだけなのだ。
頑張れ。
しかしお坊さんは、「これは、『各ページの4行目だけ低く読む』という規則があります。」と言ったので、私は奈落の底に落とされた。
ここだけ低く。
低くって、どんぐらいよ!?
そもそもお経は歌のようなものだが、飛び入りのセッションで「ここ低くね」と曖昧に言われたようなものである。
お坊さんとキーが合わなかった時のことを考えると冷や汗が出た。
と言うか、初めて聴く新曲のようなものである。キーなんて合う奴いるか。
私は全員がそれぞれ勝手なキーでその4行目を唱える場面を想像した。
ヤバい~EE:AEB64
絶対ぶー子も同じ気持ちのはずだ、と思うと、ますますヤバい。
お坊さんはさらに、4行目以外も「下」と漢字の横に振ってある文字は低く言って下さいと言った。
もうヤメテEE:AE5B1
「低く」。
最初の1行はお坊さんのソロで、そのまま2行目に入る。
最初はみんな戸惑ったが、ダンナもぶー子もちゃんと声を出して唱え始めた。
ヤバい、と思うほどに口元が歪んでいく。
もう顔ぐらい仕方ないだろう、私は下を向いて顔をグチャグチャにしながら、とりあえず一緒に唱えた。
そして4行目。
ほ、ホントに下がった。
ダンナも下がった。ぶー子も下がった。
私も下がった。その時とうとうムフフ、と声が漏れてしまったが、ダンナもぶー子も知らん顔である。
5行目に入ると何事もなかったように、元のキーに戻った。
もうダメだ、涙が出てきた。
そもそもこのキーはダンナにはちょっと高いようで、おのずと声も大きくなっていた。
ちょっとキーが高そうな事も手に取るように分かるのだが、彼は熱心にお経を唱えている。
逆にぶー子は照れくさいのか、お坊さんのキーは無視して低めに唱えていた。
そのために4行目の「低く」ではさらにキーを下げる事になり、出しづらそうにグエグエいった音になっていた。
ステレオでそれぞれのつらさが伝わってくる。
そして二人とも時々読みを間違えるのである。
修行だ。私はまだまだ人間が甘いのである。
しっかりせい、ぽ子。
しかしこのお経の規則は他にも本当は細かくあったようで、お坊さんは時々勝手に長く伸ばしたり下がったりした。
その都度私たちは「聞いてねーよ」的に置いていかれ、その都度私の修行の難易度が上がった。
それでもダンナはひたすら真面目にお坊さんについていき、「あァァ~あ、あ、あぁぁぁ~」などのタメの部分も丁寧に真似して「あァァ~あ、あ、あぁぁぁ~」と言うので、もう私は肩を揺らして「すみません、笑いが止まりません」ということをさらけ出してしまった。
お坊さんは「33ページまで」と言った。
私は下のページ数を目で追い、ひたすら早く終わる事を願った。
時はちゃんと止まらずに流れている。
しかし33ページが無事に終わると、お坊さんは「次は66ページから・・・。」と間髪入れずに言った。
頑張れぽ子、おかあさんをしっかり送り出すのだ。
そしてお坊さんはここに、新しい規則を加えたのだ。
「『上』と書いてある行は、少し高く言って下さい。」
「上」EE:AEB64
ここでもう一度「下」の時に起こった現象が私にも繰り返されるのであった。
これだけでは終わらなかった。
最後に「南無阿弥陀仏」をひたすら唱えたのだが、ただの繰り返しではなく、時々振り仮名が「だァぶつ」になっていて、その度に私達も「だァぶつ」と伸ばして唱える。
ただ唱えろと言われただけなのに、唱えてみたら2行目は「だァぶつ」なのだ。
このサプライズの後には「南無阿弥陀仏南無~」と一気に次の行まで行ったので驚いた。
不謹慎を承知で書いてしまったが、シロウトにお経を読ませるとこういう事になるのである。
一緒に唱えると言う発想は悪くないが、もう少し簡単なものにするとかして欲しいものだ。