もう4歳になっていたのか、エルは。
小さいので3歳ぐらいかと思っていたが、今、指を使ってちゃんと数えたら、もう4歳になっていたので驚いた。
あんなに色々あったが、概ね健康に過ごしている。
このまま育っていくんだろうなと思っていたが、ここへ来て大きな決断をすることになった。
避妊手術である。
エルの命を救ってくれた先生が反対していたので、私達もずっとそのつもりでいたのだが、発情期になってひどく興奮するようになり、他の仔を攻撃するようになってしまったのである。
近所の病院だが、そこでは手術を勧められた。
この先生は命の恩人先生のもとで働いていた事のある人で、「あの時」も少々お世話になった事がある。
今では避妊手術は、飼い猫のいわゆる「標準装備」である。
比較的安全な手術であり、猫のストレス、飼い主のストレス双方を取り除き、病気のリスクをぐんと下げると言われ、多くの人が当たり前のように受けさせているのが現状じゃないかと思う。
実際私もそう思っていたし、何の迷いもなく、そこそこ大きくなったところで手術の相談に行ったのだった。
しかし恩人先生は「無駄に手術をしない」というポリシーを持っているようで、まず普通に反対された。
その後色々と発情期絡みと思われるトラブルがあり、こんな状態なのだから手術するしないはとにかく、検討ぐらいして欲しいと頼んだのだが、エルにはリスクが高い、と、けんもホロロであった。
エルの手術のリスクが他の仔よりも高くなる原因は、恐らく、以前肺炎を起こしたこと(完治しているが、命に関わるレベルのもので、当時、肺の一つが機能していないと言われた)、骨格に障害があること(漏斗胸のような扁平な胸骨。矯正してかなり良くなっている。背骨が若干曲がっている)、体が小さい、発情期が長い、そんなところじゃないかと思うが、これらが一体どれほどの危険を及ぼすのかは想像がつかない。
つかないから検査でも何でもして欲しかったのだが、とにかく「反対」の一点張りだったので、果たしてそれが先生の方針からなのか、エルの状態がそれ程適していないのか、判断のしようがなかった。
エルは鳴きっぱなしである。
独得のアオーンという遠吠えの時期、ただ何かを要求するように鳴き続ける時期とあるが、どちらも非常にストレスがかかっている事は確かだろう。
恩人先生は「それが自然の状態だから、可哀相だと考えるのは人間の勝手な憶測」と言った。
それもそうかもしれないが、逆はないのか?
可哀相じゃないと思うのは正しい事なのか。
そもそも飼われる猫というのは、もう自然な環境ではない。
そこで現れない相手を求めて身を震わせて(本当に震えているのだ)いるのを見て、可哀相だと思わない飼い主はいないだろう。
私は避妊・去勢手術には賛成だ。
ただ、リスクと天秤にかけなくてはならないとなると、話は別だ。
服を着せていればある程度は大人しくなるし、抱っこ嫌いなエルが擦り寄ってくるのも可愛い。
マーキングの始末も大変だが、生きててくれるなら、そんなものは苦にはならない。
だから恩人に従ったのである。
ところが凶暴化という事態は、我が家の猫社会に大きなダメージを与えた。
常に誰かを隔離しなくてはならないし、それでもエルは気が済まずに、鼻息を荒くして攻撃の対象を物色しているのだ。
オスネコが入ったことによってバランスが崩れたのか、エルの野生の本能が目覚めてしまったようである。
もちろん手術の前には検査があり、そこでリスクが高いと判断されれば中止になるだろう。
プロの判断に任せようと思う。
とは言え、どんな手術にも少なからずリスクはつきものである。
だから今、こんなに不安なのだ。
「手術で死ぬよりいいでしょう!?」恩人は言った。
発情期のストレスも、
ストレスで禿げるのも、
病気になるのも、
死ぬよりはマシだと。
ずっとその言葉が棘のように刺さっている。
そんなにエルのリスクは高いのか。
ならばそこを教えて欲しい。
決心できた訳ではない。
不安だ。