綺麗な場所など、どこにもない。
引き出しの中もテーブルの上も棚の中もパソコンまわりも。
大袈裟ではない。
くまなくどこも汚れて散らかっている。
今さら驚かないかもしれないが。
しかし驚いて欲しいのは、「こんなに片付けているのに」の部分である。
私の努力に驚くのではない。
こんなに片付けても一向に片付かない部屋に、である。
そして、掃除の結果とは努力に比例しない、ということに。
さらに、こんなんでも掃除が好きらしいということに。
掃除ハイはまだ続いている。
せいぜい1回に片付くのは1ヶ所である。
それも問題を抱えたままとりあえず終わりにしているので、やってもやっても問題が残っている。
しかし片付けとは他と平行しなくては、最終的な「終わり」にはたどり着けないのである。
1ヶ所をとことん片付けるなら簡単だ。
邪魔なものはどこかにやってしまえばいいのである。
そして私はこれまでそうしてきた。
しかし物は増え、入れる場所に困ったものを順繰りにたらい回しにするのにも限界が来てしまった。
これは全体的なバランスやレイアウトを根本から立て直さないと、そのためには同時進行しなくてはならないのである。
しかしそれは不可能だから、適当で次へ次へと片付けている現状であった。
なんか、今度こそは片付きそうなビジョンである(笑)
で、今回はキッチンの小さな引き出しだ。
流しのすぐ裏、という最高な立地条件にも関わらず、中の住民は得体が知れないヤツばかりになっていた。
中身を出してみると、ほとんどお茶っ葉だった。
我が家では誰も暖かいお茶を飲まない。
入れれば飲むのかもしれないが、特に誰にも好かれていないために、急須は九州のダンナの両親が来たときぐらいしか使わないのである。
お茶の葉も然り。
しかし相手は主人のご両親、しけった茶葉を使うわけにもいかないので、毎度新しいものを買う。
しかしそれっきりなのである。
そして私はドケチ。
かくしてしけった茶葉がギュウギュウになって、一番使い勝手のいい引き出しに詰まっていた。
使わないものはバザー送りにすることでケリはついているが、これは無理である。
いつのものかも分からないが、それでも捨てられないのがぽ子なのだ。
私はまず、中から少ししか残っていない茶葉を合体させて、やかん単位で作ることを思いついた。
冷やしたお茶は人気者なのだ。
だったら冷やしてしまえばいい。
冷やしたお茶=水出しの麦茶、と言い聞かせて逃げてきたが、よそ様はちゃんと煮出して作っているのを知っている。
なにくそ、こっちはビンテージもののブレンドだ。
新茶、と書いてあったものと、何も書いてなかったものを混ぜて、パックに詰めて熱湯に入れる。
しばらく煮出してからやかんを、水を張ったボウルに移す。
ああ、昔は母がこうして麦茶を作っていたな。
今でもよそ様ではやってるだろうが、こっちゃビンテージブレンドだEE:AEAC1もうすぐできあがる。
ちょうどその時、娘ぶー子が起きてきた。
「ちょっとこれどうかな?お茶沸かして冷やしてみたよ。」
ガラスのコップに移して差し出したのだが、「・・・明らかに薄いですね。飲まなくてもわかる。」と、私と同じ感想であった。
仕方なくもう一度沸かし、今度はほうじ茶を2パックその中に追加した。
「これは思ったよりも早く消費できそうだ」と言い聞かせて「めんどくせー」という言葉を封じ込める。
出来上がったお茶は今度は濃すぎて、ウーロン茶のような苦味が出ていた。
これはウーロン茶と名付けよう。
発明家の気持ちがちょっぴり分かった気がする。
こうして全部消費した時に、やっとあの一等地が空くのだ。
本当にいつか、部屋は片付くのだろうか。