キャンプに行ったときに道の駅で、「Toriino」という小冊子をもらってきた。
日本野鳥の会が出しているものらしいが、中の写真が綺麗だったので持って帰ってきたのだ。
野鳥の会にトリーノ(笑)
写真も素晴らしかったが、そこに書いてあった話に大いに共感して、ぽ子は感動したのである。
載せていいのかな?
ダメだったら削除するので一報くださいませ。
三祖僧璨の「之を放てば自然なり體に去住無し」という言葉についてである。
私達は、自らの容姿や境遇について、つい他を羨んだり自らを嘆いたりする。
しかし、この羨みや嘆きの感情は、他との比較によって生じ、自らの心を捕らえるもので、この心の作用に実体があるわけではない。
人はこの実体なき心の作用に束縛されるがために、本来の自己は翳(おお)われている。
また現在の競争社会は、一定の価値観の中で相対的優劣を追い求め過ぎるがために、個々の特質や本来的あり様は不問にされる嫌いがある。
波は吹く風によって生じ、その形は一つとして同じものがない。
また生滅を繰り返す一つひとつの波は、他に対してあるのではなく、それ自らとしてある。
そして月の光は、千差万別の波を遍(あまね)く照らしている。
時に大死一番、一切を抛卻すれば、本来的自己が顕現し、貴賤も生死も超えた無為自然の生き方が見えてくる。
「幸せの法則」じゃないか!!
いや~、偉い人が言うとこりゃ説得力があるね。
顕現とか抛卻とか訳わかんないが、ぽ子はこんな風に生きていけたら、と思うのだ。
人の心は物事に執着する。
その執着する心を捨て去れば、ありのままにしてあるがままの本来的あり様が顕現し、その運命に任せて何かにとらわれるという事がない。
それはあたかも、動けば空に流れる雲のようであり、止まれば玄妙な道のようである。
あの世だこの世だと、とらわれる心がなければ、生死においても区別はない、と元の高僧・中峰明本は説く。
そしてその先には生死を超えた悟りの境地だ。
オイオイ、こりゃスケールでかいな(笑)
しかし感動した。
幸も不幸も、生も死もなく、つまらない事に心を乱さずに、ただ漂うように生きていけばいい。
う~ん、理想である。