母が来る。
せっかく専業主婦生活をしているのだ、ウチで昼ご飯など一緒に食べたりしてみようかと。
時間ならあるのだ。何か作って差し上げようじゃないか。
スパゲッティだ。トマトとホタテとニンニクを混ぜるだけ。
専業主婦1年生、無理するな。
「新鮮な貝のグラティナータ 」だとか「ホウレン草入りタリオリーニ フレッシュトマトソース」だとか「ニンニクを入れすぎるワイルド餃子」だとかは、1年後にとっておけばいい。
適当に書いた3番目の餃子が一番旨そうである。
早朝から母のために部屋を片付け、母のために買い出しに行き、それだけなのに時間がなくなってご飯は作れないまま母を迎えに行き、母のために寿司のランチを頼み、母のグチを聞き、母を買い物に連れて行き、1日が終わってしまった。
母のための、母の娘による、母だけのための1日であった。
100%母だったために、風呂から上がった今も晩御飯の支度ができていない。
水曜日だ、ダンナは今夜飲むだろう。
ご飯はできてない、ダンナは飲む、そう考えただけで頭がおかしくなりそうだ。
ダンナが惣菜を買って帰り、「・・・飲めよ。」とビールを注いでくれるのが、最高の展開なのだが。
・・・「最高」が小さ過ぎて泣ける。
「もういよいよボケてきちゃって・・・。」
最近母は、こればかり繰り返すようになった。
言った事を忘れるほどボケてしまったのか、強調するあまりに繰り返しているのか分からないが、本人は不安なようである。
そもそもボケていたのだ、それが年齢的なものなのか性格的なものなのか私には見当もつかないが、聞けば深刻なレベルになりつつあった。
さっきそこに置いたものがない、そんなのはしょっちゅうで、ウチから帰る時にも「履いていたスリッパが片方ない」と大騒ぎだ。
ずっと座っていたのになくなる訳がない、とあちこち探したら、向かいのイスの上にあったのだ。
見えないと思ってお行儀の悪い格好をしていたことがバレる。
ウチに来る前にも、友達の家に寄って欲しいと言うので道順を聞いたのだが、「セブンイレブンを右、そしたらすぐ左。」、しかしその家はセブンイレブンの裏にあると言う。これでは逆じゃないのか。
「あら、あの人そう言ってたけど、間違えたのかしら。」・・・怪しいのは母である。
結局、セブンイレブンの次は左ではなく右に曲がって正解であった。
しかし間違えたのは友達の方である。
しきりに母は無罪を証明するかのように「あなた右曲がったら左って言ったわよねー?」と絡んでいたが、友達の方は、「違うのよ、右に曲がったら左!」と意味の分からない事を繰り返していたのである。
不思議なのは繰り返すうち2割ほど、正解の「右曲がったら右」になってるところだが、もっと驚いたのは母はどれを聞いても納得し、「そうでした、私ったらまた間違えて!」と返していたところである。
この二人の会話は、いつもちゃんと成り立っているのだろうか。
米を買いたいから、と言う母を車でスーパーに連れて行ったのだが、買い物リストは「米、洗剤、ゴキブリ、お中元、パン」、しかしゴキブリはまだ何となく分かるが、最後に「扇風機」と買いてあったのでたまげた。
扇風機とパンを一緒に買うつもりだったのだろうか。
どうでもいいことだが、私はフライパンを買って帰ってきた。
ちょっと嬉しかったので。
1600円。
小さな幸せである。
しかし今夜、出番はあるのだろうか。