人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

真ん中は新座だった

最初に気付いたのは、座り仕事担当の二人であった。

「立ってるから気がつかないのかな?」

彼女達は立ち仕事の私達を見て、そんな風に言っていた。

そう言われて初めて、地震に気がついたのである。

大した揺れではなかったが、長い。

あまりの長さに皆異変を感じ取り、「怖い」という雰囲気が漂い始めた頃、揺れはどんどん大きくなってきたのだ。

ユラユラと大きく横に揺さぶられたが、ゆっくりとした揺れだったのでまだ余裕が持てた。

そのとき下のフロアから「外に避難しますよ!」と声がかかり、ゾロゾロと連なって階段を下り、会社の前の駐車場で揺れが収まるのを待ったのだ。

とにかく長かった。

これは日本のどこかが大変な事になっているに違いない。

国内では、過去最大級の規模の大震災であった。

東村山は震度5弱との事だったが、目に見える被害はなく、猫がビビッていただけだ。

なので家に帰ると私は、ソファに座って呆然としながらテレビを見ていたのだが、ダンナと連絡がつかないのが気がかりであった。

電話が全然繋がらないのである。

去年、ダンナの会社の計らいで「災害用ダイヤル」の練習をしてあったが、そんなものはすっかり忘れ果て、全く役には立たなかった。

やがてダンナの方から電話がかかってきたが、会社の電話からである。

どうやら、携帯よりはつながりやすいようだ。

戸田の工場はひどく揺れたらしく結構大変な事になっていたようだが、けが人などはなく、みんな無事とのこと。

ただ、電車が止まっているのでどうやって帰るか、という問題が残された。

仕事が終わる時間になっても、電車が動き出す気配は全くなかった。

なので私が車を出す事になったが、近所の決まった道しか走れないのである、大変な事になった。

そもそもどうやっていけばいいんだ?

我が家にはナビがない。

1995年版の地図を見ながら東村山と戸田を結ぶ道を探し、地図に番号を振った付箋紙をつけ、通過する交差点の名前を書いたメモを作り、出発した。

ダンナもこっちに向かって歩き出した。

途中の和光の駅で合流する予定だったのだが、あとは昨日のツイッター状態の記事の通りである。

大渋滞でなかなか進めず、かなりダンナを歩かせる結果になってしまった。

会えたのは新座、時間にして3時間。

今、糸を使ってお互いに来た道を地図で計ってみたが、ピッタリ同じ長さであった。

ほぼ真ん中で会った事になる。

ところで私は、分かりやすいルートという前提で適当に道を選んだのだったが、志木街道よりも帰りの水道道路のほうが全然空いていた。

災害時には志木街道は使わないほうが良い。

というか、災害時にはできるだけ車は出さない方が良いEE:AE4E6

夜中か朝方かは知らないが、余震だろうか、地震で目が覚めた。

足元で寝ていた大五郎を布団に入れてやったが、怖かったようでブルブル震えていた。

直後、足がつったEE:AEB64

ふくらはぎがつったので足先を上に反らしたが、すると今度はスネがつる。

足先を戻すとふくらはぎがつる。

にっちもさっちもいかずに何とかどっちもつらずに済む向きを探したが、ブレーキを踏んでいるポーズをイメージしてみたら落ち着いた。

寝ているのに座っている格好だ、不安定に足を浮かせて。

あんだけ歩いたダンナには言えなかったが、渋滞のマニュアル車も辛かったのである。

昨日は疲れ果てて、ビール1杯で寝てしまった。

秋津で飲む約束をしていたのに、とんでもない1日になってしまった。

その分を取り返しに、これから久米川に出る。

マックのマイアミバーガーは地震の影響でオニオン抜きになっていたが、他の飲食店にも影響は出ているのだろうか。

被災者に何もできないのだ、せめてそれぐらいは我慢するつもりである。