人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

へそか腰か

ついに恐れていた日が来てしまった・・・。

作業スボン(泣)

私が午後から勤めている会社では製造に携わっているのだが、入社して3年目、平和ではあるが小さな変化はあった。

その多くは受け入れがたいものだったが、小さなものだ。受け入れてきた。

小さな変化の繰り返しで現在大きく変わってしまったものが、服装である。

私が入社した当時は、エプロンであった。

紺色のデニムの布地で、シャレてもいないが無難なものだ。

これが制服に変わった。

水色の、よくある作業着的な制服だ。

ベストとブラウスなどという華やかなものではない。

昔、大家族を支えるために山奥の縫い物工場なんかに送られた女の子が着せられるようなヤツだ。

本当に50年前からデザインが変わってないんじゃないだろうか。

しかし、これもまだ良かった。

呆れるほどダサいが、これまで私が勤めてきた会社では、どこもこんな感じだったのだ。

世の中がこうなのだろう、と納得するようにした。

日本はエレクトリックな部分ばかり発達した代わりに、こう言った部分が遅れているのだ。

代償である。

私達がこれを着ているお陰で、日本は発展するのだ。

しかし、これで終わらなかった。

私達にダサイいものを着せれば着せる程、国が発展する訳でもないのに、女に恥をかかせるのだ。

帽子である。

「おぼうし」という感じの帽子だ。

レーヨンかなんかのクニャッとした布地で、つばの中心にあるリボンで紐を調節して、絞るようにして被る。

色は水色。

こんなに恥知らずな帽子は、生まれて初めて見た。

まともに被る気がせず、結局頭の上にチョコンと乗せているが、髪を全くしまっていないので無意味である。

そのうち怒られるだろう。

結局、体を大きく動かすたびに落ちる帽子を拾いながら、毎日仕事をしていた。

もうダサさの極地なのだ。底辺なのだ。

これ以上堕ちることはないだろう。

変な格好だが、妙な安心感があった。

しかしその日が来た。

まだ下の世界があったのだ。作業ズボン。

嫌な予感はしたが、やはり昭和初期仕様であった。

女子刑務所の制服に酷似している。

紺色の細めの「スラックス」という感じの「おズボン」だ。

皆、絶句した。

作業着はダサくなくてはいけないきまりでもあるのか?

それとも従業員を減らしたいのか?

そいつはいい案だな、私は辞めたい気持ちになった。

そしてこれを、会社で着替えろと言うのだ。

会社の、狭いロッカー室で、パンツを出せと。

それだけは嫌だ。絶対に嫌だ。

わかった、穿きますよ、でもここで着替えるのだけはぜ~~~ったい、イヤッ!!

他の奥様方は、普段着ているズボンの上から作業着を穿くことにしたらしいが、そんなかさばる状態もイヤだったので、私は「作業着の上に自前のズボンを穿いてきて、会社でそれを脱ぐ」と決めた。

しかし作業着の上から穿けるようなズボンなんて、我が家にあるのか??

私の持っているズボンは殆どジーパンだが、ジーパン、作業着の上からなんて無理である。

そこでひらめいたのが、スウェットである。

そういえば娘ぶー子が、文化祭のダンスではいたスウェット、あれ、いらなそうだったな。

友達に買ってこさせたら「高いの買ってきやがって!!」と本気で怒っていたが、2900円である。

安くはないが、そんなものだろう。

私の金銭感覚が、そっくりそのまま学習されている。

それを私が2000円で買い取った。

急に思いついたので時間がなかった。

私は出勤寸前にそれを穿いたが、どえらいダボダボであった。

なぜ若いもんはこう、自分のサイズと全然違うブカブカしたもんを着るかな。

サイズを見たら3Lであった。LLL。

裾もズルンズルンである。

時間がなかったのでそのまま出掛けようとしたが、いつも履いてる靴がなかった。

しくった、庭に置いてきた!!

しかたなくゲタバコから適当に出したスニーカーをはいたが、ヒールの高い厚底であった。

・・・なんか・・・、ぽ子・・・、すごいカッコ・・・。

「ちょっと、おかしいよッ!!」

家に帰ってくると、玄関まで出てきたぶー子が私の姿を見て言った。

「腰、高すぎるよ!!もっと下げてはかなきゃ!!」

ぽ子、もうすぐ40歳である。

ただでさえズルズルのこのスウェットを、腰で穿けと。

「裾が・・・、ただでさえ長いんですけど・・・。」と訴えると、「それでいいの!!」と強く言った。

どっちがかっこ悪いんだろうか。

40歳の腰パンと、迷彩柄のスウェットをへそで穿くのと。

もう会社でも外でもしょうもない格好になっている。

着る事すら「仕事」である。