午後11時30分。
私は布団で、本を読んでいた。
入眠の儀式である。
前夜眠れなかったこともあり、私はちょっと緊張していた。
最善の環境で眠りに入りたいものである。
本は、バッタの研究をしている人の本であった。
バッタだよEE:AEB2F
新聞の書評を見て選んだと思うんだが、バッタである。
ところがこれが面白くて、つくづく読み物とは「トピック」ではなく「センス」だなぁと思ったりするのだった。
バッタの研究の本を読みながら、私はちょっとした不快感を感じていた。
開けた窓の外から、テレビの音が聞こえてくるのである。
そんなに大きな音ではないが、確かな音だ。一度感知してしまうと、無視できない。少なくともこの状況の私には。
これは、眠りに入る前には危険な音である。
窓を閉めようかとも考えたが、暑くなってきたりしたら体を起こして開けなくてはならなくなる。
それなら寒くて布団にくるまっているほうが、眠りには優しい。
窓は閉められない。
嫌な音である。
フフン。
先日私は、いいものを発見したのだ。
それは以前、お台場のZEPPにてツェッペリンのフィルムライブを観に行った時に貰ったものだ。
爆音ライブと称したそれは大音響で聴けることをウリにしていて、念のために耳栓も渡されていたのであった。
深夜かすかに聞こえるテレビの音の方が、私にとってはるかにうるさいものなのだ。こんなところで使えるとは。
タダでもらったちゃちい単なる耳の詰め物だ。それでも耳の中がこもり、小さな音はすぐにかき消されてしまった。
なにより、「これがあるから大丈夫」といったおまじない的な安心感に、私は弱い。
タダでもらったオレンジ色の小さな詰め物に、絶大の信頼を寄せる。
それだけに、その信頼が崩れた時の不安も大きい。
幸せはいつまで続くのか。
実は、そんな私の不安を払拭する情報があったのだ。
耳塞界には今、「ノイズキャンセリングイヤホン」なるものが君臨しているそうじゃないか。
私が入手した情報は、「隣で寝ている夫のイビキも気にならない」という、青汁もビックリの効果であった。
そもそもは、雑音を抑えて音楽などを聴くためのものだが、逆の発想だ。雑音を抑えるために音楽を聴くのもアリじゃないか。
値段はピンキリ。
とは言え、タダよりは確実に高いので、この耳栓が私を裏切るまでは、ただのイヤホンと認識しておくことにする。
「ただの」という言葉には、往々にして「つまらん」という意味が含まれている。
そんなものに興味を示さない方がいいのである。
耳栓の裏切りを待っている自分がいる。