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総菜デリバーを始めて、2週間になる。定着したといってもいいだろうか。
実家の母は、今年で87になる。えっ!?もうそんなだったかEE:AE5B180過ぎぐらいで曖昧に止まっていたが、今調べたら、昭和2年生まれは今年87である。
実の母親だ、甘えもあるし、突然老いるわけではない。私は母が老いることについては、非常に鈍かったといってもいい。
思えばサインは出ていた。
腰が痛い。
すべてはそこに起因しており、そのためにあれができない、これができない。
しかし「人を頼る」ということを嫌う母は、頑張ってしまう。
手助けしようと思っても「大丈夫」と言われると、本当に大丈夫なんだと思ってしまうあたりが、親子の甘えであった。
母の腰痛はかなり深刻で、ついには気持ちもやられてすっかりふさぎ込んでしまうようになってしまったのだ。
介護認定とかしてもらえれば、何かと助けになるんじゃないかと考えたのだが、同居人がいる場合、介護の認定度合いはグッと下がってしまうことが分かった。
同居人、って、本当にただ同居しているだけで、父は役に立たないのである。結局、父も介護も母の役には立たないのであった。
じゃあ、今一番役に立つのは誰でしょう?
さしあたって私が最初にやったことは、「愚痴を聞く」であった。労力は、受話器を持つことだけである。母の話は繰り返しなので、聞くことすらしなくても会話は成り立つのである。
しかし根本的なことが解決されないので、これでは出口のない掃き溜めである。
とはいえ、腰痛については年齢的なものなのだろう、もう治りそうな感じではないのだ。その辺はごまかしながら付き合っていくしかなかろうが、この末期的思考はなんとかならないものか。
ふたことめには、もう死んじゃうような気がする、と嘆く。
鬱なのだろうか。
あまり酷いようだったら、病院に行こうと準備だけして様子を見ていた。
母が苦痛を感じているのは、食事作りだという。
介護士さんに何軒か総菜のデリバリーを教えてもらったが、母がそれを利用する気配は全くない。
恐らく「そこまでしてまで」という思いと、新しいことを始める億劫さと、単に助けの手段として記憶されていないのと、いずれにしろ母の役には立ちそうになかったのだ。
じゃあ、今一番役に立つのは誰でしょう?
正直、あまり責任を負う自信がなかったので、宅配を紹介してもらったのだ。
しかしもともと痩せていた母の体重はますます減り、30キロ台になってしまったとの事である。
そうだ、わざわざ作ると考えるから、腰が引けるのではないか。
私はまず、家での食事を多めに作り、そこから分けて持っていくようにしたのだった。
なんだ、簡単じゃんEE:AEACA手間は変わらないし、母、とても喜んでる。
喜ばれると嬉しいもので、何だかこっちも気合が入ってくる。
自分らが食べない日でも、母に煮物なんかを作って持っていたりした。
母の愚痴聞きも平行して相変わらずやっているが、このところ変化が出てきたのだ。
「具合どう?」と聞くと必ず「腰がね・・・」と来て「もうすぐ死・・・」などと言っていたのが、「おかげさまで、具合いいわよ~!」と明るい声が返ってくるようになったのだ。
食べ物は、単なる食材ではない。
作り手の気持ちが活力になるのだろう。
母が元気になって嬉しい。
私もますます頑張るよ。